飯島企画業務日誌

『パワハラとの人間関係』後編

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おはようございます✨

 

 

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『パワハラとの人間関係』後編
「伝説の経営者」とも呼ばれた米国ゼネラル・エレクトリック(GE)社を率いたジャック・ウェルチ氏は、「自信のある人間は異論を歓迎し、素直に耳を傾ける勇気を持つ」との名言を残している。裏を返せば、自分の思い通りにいかない相手を攻撃するような者は、「自分に自信のない臆病者」ということかもしれない。
したがってパワハラやセクハラの原因が、自分に自信の持てない者の「嫉妬」に由来することはよくあることだ。お釈迦さまはこのように言っている。

『勝利者が勝ち取るものは敵意である。
敗れた人は苦しんで萎縮する。
心穏やかな人は、勝敗を捨てて安らかに過ごす』
『法句経』第15章 楽しみの章 5――アルポムッレ・スマナサーラ著

では、パワハラ・セクハラをしない、されないためにはどうすればよいのか。
ひょっとしてあなた自身、「パワハラをしてしまう気質がある」と、自覚しているケースがあるかもしれない。そんな人は、第一に実践していただきたいのが「言葉遣い」だ。仏教用語で言い換えれば、正しい言葉(正語=しょうご)を使う、ということ。
私たち人間にとって、言葉はコミュニケーションをとるために不可欠な要素だ。言葉は情報伝達、意思疎通などの大切な役割を果たしますが、時には使い方ひとつで相互の関係性が、崩壊してしまう。
たとえば、新橋の居酒屋などに行けば、こういうシーンをよく見かける。上司が部下を前にして、
「おまえのこういうところがいけない」
「俺は若い頃、休みも取らずに黙々と仕事をしたもんだ」
などと、くどくどと説教を垂れるシーンをよく見かけるが、これはいけない。仮に仕事上の指導をする局面があったとしても、社内の会議室で冷静に、端的に行えばよい話だ。
もっと言えば、部下や後輩にたいして、上から目線の偉そうな言葉遣いはいけない。そういう人に限って、上役にはペコペコしているのがオチ。相手によって言葉や態度を使い分ける上司に、部下らは「ああ、この人は出世と保身のことしか考えていないんだな」などと、冷めた視線を送っていることだろう。

言葉遣いに慎重にならなければならないのは、取引先に対しても同じ。自分の会社がクライアント(カネを払う側)だからと言って、強い立場にいると錯覚して、ああしろ、こうしろと高圧的に注文やクレームをつける人がいる。
また、タクシーに乗った際、運転手さんに横柄な態度を取ったり、飲食店のウエイターやウエイトレスにたいして召使いに声を掛けるような言葉遣いをしたりする人もいる。こういう人は、人間性が疑われる。
あなたが投げかけた暴力的な言葉はその後、ひとり歩きをする。あなたから、人間性を否定された取引先の人や、罵詈雑言を投げつけられたタクシー運転手さんはきっとその日は悔しさと情けなさで、心穏やかにいられないだろう。彼らは帰宅後、ひょっとして奥さんに冷たい態度をとってしまい、家庭崩壊を招く可能性もある。言葉から生じる憎悪は、病原体のウイルスのようにどんどん伝播し、社会全体のなかで負の連鎖を起こしてしまうのだ。
誰に対しても、常に敬意を払い、丁寧な言葉を使うように心がけたいもの。正語を心がければ、和顔(わげん)につながる。これを和顔愛語(わげんあいご)といい、無量寿経というお経に書かれている。丁寧に言葉を選んでいけば、相手から慕われ、自分も相手も穏やかな表情になるということ。
それでも、自分はどうしても攻撃的な性格を抑えられない、正義感ゆえ自分にも他人にも厳しく当たってしまう、という人はどうすればよいか。ぜひ、マインドフルネスや座禅などの瞑想を実践してもらいたい。
ここではあえてその実践方法は紹介しないが、瞑想に関する書物は多いし、マインドフルネス教室なども多数開催されている。瞑想はストレスを軽減させる、感情がコントロールできるようになる、うつを予防するなどの効能が期待できる。

では、相手からパワハラ攻撃を受けた場合はどうするか? まず、責められる自分自身が悪いんだ、と責任を感じないことが肝要だ。

『一つの岩の塊りが風に揺がないように、賢者は非難と賞賛とに動じない』
『法句経』第6章 賢い人の章 6――中村元訳
言い換えれば、右から左へと受け流すことも必要、ということ。しかし、そうは言っても、耐え忍ぶことができない、うつになりそうだ、という人はいるだろう。その場合は、会社に見切りをつけ、退社する決断も視野に入れるべきだ。なぜなら、お釈迦さま自身が、苦行から逃れることで悟りを開いた人だからだ。
このように、会社勤めを「現代の修行」とするならば、理不尽な要求やパワハラは「苦行」とみられなくもない。しかし、よく考えてほしい。会社勤めにおいて、苦行が本来の目的ではないはず。本来は心身とともに健全な状態のなかで、誠実に仕事に向き合って成果を出し、自身や家族ともに充実し、あなた自身がこころ穏やかな毎日を送ることが大事なのだ。
記事https://president.jp/articles/-/32128?page=3

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