飯島企画業務日誌

『罪の轍』奥田英朗

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おはようございます☀️

 

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『罪の轍』奥田英朗
礼文島は、北海道の北部、稚内の西方60kmの日本海上に位置する島、利尻島の北西に位置する。冷涼な気候により海抜0メートル地帯から200種類以上の高山植物が咲き乱れているため別名「花の浮島」と呼ばれている。アイヌ語では「沖の・島」を表す「レプンシㇼ」と呼ばれ、日本語名はこの「レプン」に字を当てたものである。
1963年、昭和38年。オリンピックが開催される丁度一年前、この礼文島(初夏)から物語が始まる。かつて一網で二百トンの水揚げを誇っていた北海道のニシン漁は、昭和30年を境に激減し、漁師は昆布漁で食いつないでいた。
「宇野寛治20才」は先天性ではない脳疾患を抱え小さい頃は特殊学級に通い、皆から「莫迦」(バカ)と、からかわれていた。
寛治は就職するも同僚の品を盗み取る、悪いこととは分かりつつ、台所に置かれたおむすびを手にするように悪気無く、「いただきま~す」と言った具合で犯行を繰り返し少年院送りとなった。
その後、支援を受け元網の元で働いていたが記憶障害のせいか物覚えが悪く、元網の雑用と昆布漁で怒鳴られながら、こきつかわれいた。
そんな中でも寛治は利尻島で空き巣を行っていたが、うまくすり抜け捕まる事は無く、成果の出ない昆布漁をこの年の収穫時期が終わったら止めて東京へ行く腹積もりだった。
東京は初のアジア開催の東京オリンピックで好景気で賑わい、仕事なら何でもあると噂を聞いていたからだ。
そんな時に普段は莫迦にされていた、「赤井」と言う同漁師に寛治が行っていた空き巣がばれて、急に優しくされ、今まで感じたことの無い感情が起り、赤井の口車に乗せられて赤井を信じた事で命を落とす寸前まで行ったが命は繋がり物語は進んで行く。難あって東京に辿り着くも、また空き巣を繰り返す。その中で「荒川区元時計商殺人事件」が起きた。寛治を昔から知る人は盗みはするが人殺しなどはしないと話すが、徐々に寛治の存在が明らかに去れていく、年齢、訛、特殊な服装から、東北訛の若い男と疑われる。
寛治は昔から子供達に莫迦、莫迦と言われながらも子供達と遊ぶ事の出来る純粋な男で、東京に来てもそれは変わらない、警察は子供に聞いて廻る、徐々に絞られる寛治、そこにチンピラの「明夫」が絡む、ヤクザは義理人情で寛治が今まで感じたことの無い信頼感を得た、何故普通の人よりヤクザの方が自分に優しく接してくれるのか?
明夫は寛治の面倒を見ながらストリップ劇場のボーイの仕事を紹介する、寛治は働いていたストリップの女「里子」と懇ろになり、次々と起こる大事件捜査に寛治の姿が浮き上がり、疑われる。明夫の姉、「ミキ子」は母親と山谷のドヤ街で町井旅館を手伝っている。度々問題を起こす明夫が事件に絡んでいるのでは?と心配する中、
「左翼」も出てきて事情が複雑となり寛治は左翼に
匿われる。
更に、「吉夫ちゃん誘拐事件」「新宿ホステス殺人事件」と犯行現場が広範囲となり所轄や部署も大きくなり警視庁の元「合同捜査本部」がつくられた。この時代の最新技術を駆使して警察は事件解明に挑む。
警視庁捜査一課の「落合昌夫」29才の若手刑事と昔かたぎのベテラン刑事「大場」が活躍する。
連絡手段は固定電話で、黒電話、赤電話、ピンク電話、など懐かしさを感じる。それに電報、位。移動手段は都電、タクシー。
南千住に大毎オリオンズ(今のロッテ)の野球場が有った事は知らなかった。昔のパリーグは人気が無く満席になることは無かったらしい。その時代の空気感が幼かった時代を脳裏に浮かばせる。
刑事もスーツを着ていなければヤクザ同様見分けがつかず、地廻りと言った風習からヤクザの起こした微罪は見逃し、代わりにネタを引っ張る関係を持っていた。
そして事件は計画的なのか?その場しのぎなの犯行か?捜査は進むが寸前に行き止まり新聞記者の邪魔が入る。誘拐事件は当時初の「報道規制」がかかる。記者は余計にイラつき刑事を問いただす。我が先にと誘拐された家族(鈴木豆腐店)を追い詰める。
マスコミや警察上層部の責任の押し付け合いは今も変わらずマスコミは言論の自由を盾する。
一般庶民からも、被害者の鈴木家にイタズラ、脅迫、労い、犯人目撃情報などひっきりなしに電話がかかり、それは若い刑事「岩村」が対応した。
過去が暴き出されると、そこには悲惨な現実が蘇り犯人が最後の目的を実行に移るが、果たして…

舞台となる「三谷」は今、地名として残っていません。経済成長、オリンピック景気で各地から出稼ぎに来た労働者が安宿を求めて集まったドヤ街。そんな中に「当たり屋」をするものも多く「明日のジョー」でも語られていました。
オート三輪車や路面電車(チンチン電車)などは、まだ私が幼かった時代を微かに思い出します。
昭和38年には黒澤明の「天国と地獄」が公開された3月以降「吉展ちゃん誘拐殺人事件」など都内を中心に誘拐事件が多発しました。国会でも問題として取り上げられ、昭和39年の刑法一部改正されました。

音楽デュオの「コブクロ」の「轍」
《そんなに遠い目をして、君は何を見ているの? 一秒ずつの未来が今も通りすぎているのに》
《眠れないほど悩んで見えた答えがあるなら、君さえ知らない君を見つける旅に出かけようよ》
《轍さえもない道をただ進め》

犯人は、茨の道には行かず「轍」に嵌まった、それは巨大で抜かるんだ「轍」だった。

バック、東京スタジアム写真引用http://hoteiya.blog47.fc2.com/blog-entry-470.html?sp
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