飯島企画業務日誌

『死に行く者の祈り』中山七里

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おはようございます😊

 

『死に行く者の祈り』中山七里

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浄土真宗”導願寺”に僧籍を置く「高輪顕真」は、出家したその日から教誨師を志していた。真宗で規定された研修を受けて推薦を得ると、仏教会会長の承認の上、各刑事施設から辞令が下りる。教誨師が不足していたのか、東京拘置所からの辞令はすんなり下りた。 だが、実際に拘置所に派遣された顕真は、頭に思い描いていたことと現実との乖離にひどく当惑した。囚人の死刑執行立ち会いはその1つだった。 絨毯が敷き詰められた執行室には中央に四角の赤枠が二重に施された踏み板があり、真上の窪んだ天井からはロープが垂れ下がっている。死刑囚の身体はすうっと穴に吸い込まれ、ロープが伸びきった張った音と首の骨が折れる音が重なる。キイキイと滑車を軋ませながら左右に揺れる振り幅が小さくなり30分後、全裸にされ、医師と検察官によって死亡が確認される。 教誨師とは、拘置された死刑囚と唯一面接できる民間人であり、教誨を望む死刑囚と対話し、ときに悔悟を促し、教え導く役割を負う。無報酬の「仕事」であり、多くの場合、牧師や僧侶など宗教家が、その役割を担う。そんな過酷な仕事をタダで誰がやるのか、と疑問が起こるが、宗教家にとって「教誨師」という肩書は「まことに美しい響きを持っている」そうだ。 教誨の仕事は個人教誨だけではなく、宗教行事や入所時指導、出所準備指導と多岐に亘る。囚人達を一堂に集めての集合教誨もそうした仕事の1つだった。顕真が初めての集合教誨で登壇した時に物語が動き出した。 死刑囚の中から顕真を懐かしむような視線を感じる。更に特徴の有る鼻だ。どこか愛嬌のある団子鼻だが、全体がうっすらと紫色のアザで覆われている。何であいつがこんな所に!他人の空似だろうかと、講話後に刑務官に名前を尋ねた。”あれは「関根要一」と言う男ですよ。” やはり!顕真の命の恩人の関根だった。それは大学の登山サークルで、亜佐美(女性)関根と顕真、3人で劔岳の登頂を目指す途中、天候の悪化に襲われ悪佐美が打撲のうえ失神、そして顕真も足を負傷、2人を置いて関根が救助を求めに行けば、その間に2人は凍死してしまう。関根は右手に亜佐美を抱え左の肩で顕真を支え、何とか山荘に2時間40分分後到着し、救援ヘリコプターで搬送され九死に一生を得た。 関根は住所不明になっていて、25年ぶりの再開がこんな所で!?関根はなぜ、男女カップルを殺めたのか?関根の言う理由が信じられない。この事件は顕真が仏門の修行中に起きていた。当時ニュースにもなったが、閉ざされた修行の身で何も知らなかったのだ。 顕真は真実が知りたくなり当時、関根の弁護を担当した弁護士に合い、検察官、所轄刑事など探偵染まがいの行動をした。初めは顕真が納得したかったのだが、所轄の若い刑事の「文屋」が顕真の考えに興味を示す。そこに冤罪の影が漂ってくる。 既に結審した判決は簡単に覆せない。新犯人を見付けなければならないが、関根は犯行を認め物証もある。 徐々に突き詰められる事実の落とし穴。職務中の失敗はそのほとんどが過信と盲従に根差している。驕り昂り、上からの指示命令に欠片も疑問を抱こうとしない。そう言う姿勢が数々の誤謬を生み出すのではないか。常に組織を疑い、己の未熟さと向き合うことが必要ではないか。 顕真が隠している過去も明らかになり、己が善として振る舞っている行いが別の誰かには悪行となる。どんな世界でも達観した者は一握りにすぎず、その他大多数は迷いながら日々を生きている。 刑事事件で無罪判決を勝ち取れば、被告人や支援者から感謝されるが、それで被告人が完全に悪夢から解放される訳ではない。有罪率99.9%のこの国でいったん刑事被告人になってしまうと、人の見る目は固定する。折角、再審して無罪判決を得ても、後ろ指をさす者は後を絶たない。先入観と偏見に阻まれて満足な社会生活を送れない。 過去の過ちを勝手に償っているつもりになり、互いの真実を隠し、誤解を招く。新たな真相が現実に浮かび上がる。 しかし、法務大臣は執行命令書に署名した。5日以内に行われる執行の報告は、執行その日の朝に死刑囚に言い渡され1時間後に執行する。関根は、刑務官所長からの執行が告げられた…時間がない!顕真の決断の瞬間とスピード感が溢れる。 自己犠牲をあだに美化し、死ぬことを賛美するなど愚の骨頂だ。死んで償えるものよりも生きて償えるものの方が大きいはずだ。

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