飯島企画業務日誌

『ガンディーの経済学』

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おはようございます☺️
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『ガンディーの経済学』
第一次世界大戦後のインド独立運動の指導者。第一次世界大戦後から国民会議派を率いてインドの独立運動を、非暴力・不服従という戦術で展開し、第二次大戦後に独立を達成した。ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の融合を終生追求したが、ヒンドゥー狂信者によって暗殺された。

無分別なやり方で日々の欲求を増大させる事は、人間の欲望を終わりの無い連載に従属させるだけである。そうした過程は、個人を持続的で安定的な消費経路へと導く事は無い。狂ったように欲求を増大させ、そうする事が、自身の真の富に何かを付け加えると考える者は、誤っている。そうではなく、放縦(思うままに振る舞う事)や欲求の際限なき増大は、知足(足りるを知る者は富む)や個人の自律性、自尊心、精神の安寧を蝕むがゆえに、人の成長を阻害する。個人の長期的な幸福は、まさしくこれらの価値によってこそ見出せるのであり、いま好きな物を獲得することではない。
知足が、幸福なのです。誰がこれ以外の幸福を知っていたでしょうか。他の幸福と思われる物はどれも蜃気楼にすぎません。私達がそれに近づけば近づくほど、それは遠ざかって行くのです。
どんなに多くの物を所有しようと、満たされていない者は、欲望の奴隷となるのです。個人に当てはまる事は、社会にとっても当てはまります。
人々が「最大限の努力」によって物質的欲望を慎重に抑制する事が、より理性的な解決策をもたらすのである。
適切な情報を獲得して、欲望を支配し、調整し、修正する事が出来る。
各国が進歩するには、その住民の側に、自らの製品や製造者を選好する事が求められる。それらを使用する道徳的責務があるのである。
私達は国旗を掲揚する儀式に出席して自分たちの国旗に誇りを抱きます。もしあなた方が自国製品を好まずに外国製品に憧れるならば、私達の誇りは何の意味もない。
ガンディーは、身体と知性と精神がバランスよく調和して成長することが、人間開発の目標であると信じていた。
権利は義務に関連すると言う事、そして、義務は概念的に権利に優先すると言う事である。
彼が表明した機械の使用に対する反対論。動力機械や大規模生産に対して、経済発展の道としての近代的路線に則った産業化に対して敵対的態度をとった。
これは、日本でも起り大型スーパーの進出で町の商店街がシャッター街になった。
《ガンディー~受託者へ》「私は、あなたが、自らの労働者をあなたの富の共同管理者にする事を望むのです。」現代で言う「コーオウンド」のようだ。
そしてまた、生活賃金を支払い、清潔な労働環境を確保し、安価で栄養価の高い食べ物、衛生、そして労働者の子供達の初等教育の為の施設を提供する雇用者側の義務を意味すると考えていた。
宣教師は、英語を通じてキリスト教の知識を伝えようとし、イギリス政府は、行政のための事務員と安価な教養ある労働力を必要とし、そしてインド人社会改革者は、イギリス式教育の大義を昌道して、静態的なインド社会を近代化しようとした。
最善の身体、知性、そして精神を総合的に引き出すこと。
教育とは、何かを解放するものであり、知性とは、人類への奉仕に役立つあらゆる訓練を含み、解放とは、この世においても存在するあらゆる形の隷属からの自由である事を意味する。
身体的教育が目指すのは、より大きな筋肉ではなく、鍛練された柔軟な身体であり、それは「健康的で、活力に満ち、たくましい」ことに加えて、より重要な事として、30マイル歩くこと、山を登ること、つるはしやシャベル、ハンマーを使うことなど、やるべき仕事を何でも不平や疲労無しに出来る身体である。
ガンディーが提唱した教育プログラムはナイー・タムリ(新しい教育)として知られ、これを基礎教育とも呼んだ。3つの基本的原理に基づくもので、すなわちそれは指導の言語は英語では無く、母語で行い、読み書きよりも就業的志向を持つこと、そして財政的に自立する事である。
惰性的観念の暗記こそは、植民地教育システムの最も息苦しい特徴とみなし、子供が学習過程において能動的な参加者となるような方法と環境を作り上げようとした。
驚くべき同盟者は「毛沢東」である。毛は、社会の革命的変化をもたらすのは、下からの教育革命と言う観念から、中国の伝統的教育の特徴であった実践活動が無視されたことを嘆いた。毛は、大学の卒業生はなんらの実践活動にも従事せず、学んだ事をいかなる生活領域にも応用していない。毛もまた、ある段階でガンディーと同様に、学校は財政的に自立するべきと考えた。
人が、個人に重きを置き続けながら「所有的個人主義」に突き動かされた社会の特徴としての不平等と不正義に断固として立ち向かいうると言うことは、ガンディーの遺産の価値ある部分である。彼の理論とは、「非所有的個人主義」のそれなのである。
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