飯島企画業務日誌

『ソラリス』スタニスワフ・レム 沼野充義 訳

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おはようございます😉

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『ソラリス』スタニスワフ・レム 沼野充義 訳
知人に薦められて読んみました。裏表紙の解説を読むとSF小説と言うこと”スタートレック”が頭に浮かんだ、それは50年以上昔の、小説だったからです。
人類が発見後100年間に亘ってコンタクトを試みるものの理解不可能な知性、それは二重星の惑星の海そのものだった。導入はサスペンス的で非常に興味を惹かれたものの、学者の言う「科学的にハードな」部分であるソラリス学の叙述を読み進めるのに苦労した。理解することが絶望的な存在に対するアプローチとして、人間はどんなことができるのだろうか。生命的な挙動をとる海を他者として置くことで、人間の知をここまで相対化できるのか。
ふと気づくと、自分の事を考えていた。私にはどんな客が現れるのだろうか、私はその客にどの様に対応するのだろう?そして、その客は私にどの様に接するのだろうか、記憶とは、自我とは、どんな者を蘇らすのだろうか?
人間による外的空間の領土化が、他者との廻り合いによって促される、自分の体の成分を分解して異なる物質に変える過程の軌跡ではなく、むしろ人間が己自身の美化された似姿を見出そうとする人間主体的な動機に支えられているのか。
人間は当たり前な物を土台としなければ、新しい物を理解できない。驚くもの、面白いものは馴れたもの上に成り立っていて、全く新しい物は、ただ不快なだけなのだ。
我々は一度にほんの少しのことしか把握できない。私たちの目に見えるのは、目の前で、いまここで起こっていることだけだ。
人の心の中と言う、もう一つの宇宙のようなもの。心には、ときどきブラックホールと巨大彗星と強烈な宇宙嵐が重なったような悪夢のような宇宙に出会こともあるのではないだろうか。
本作が書かれた時代背景には、米ソ冷戦と熾烈な宇宙開発があって、本気で宇宙核戦争が心配された時代だったそうでだ。いつでも、宇宙生命体はタコの姿か、グレーと呼ばれる人間の想像上の生命体だがこの”ソラリス”は違った。
結局のところ、脳の中には言葉も感情もまったく存在していない。人間の思い出とは、
”自伝的”な記憶で、都合よく書き替えられる。
「海」が人々に対して「特別な人物」を送り込んでくる件について、本質的に孤独であった「海」にとって、人類の最も異質な点が「他者の存在を前提とする」という部分は、ありそうだなとぼんやり思った。人類の言う”悪”のそこに一番興味を持ったと言う事。
救いとして求めた神がより一層人間の不完全性を強調する事象となる。 人間形態主義をここまで強く風刺されると頷くしかない。
内在の鏡が表象として現われたとき、我々はまさに無意識の海の中にこそ〈他者〉を見出すべきであるはずだが、我々はそれを直視せず、主人公たちのように船内で意識に留まりながら記憶と対峙し続けるしかない。この困難はまさに、宇宙空間において人間の認識の限界と境界を作り出しているのは、人間側が無意識に〈他者〉へ期待している人間形態主義にあるということなのだろう。
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