飯島企画業務日誌

『人生の鍛練』小林秀雄の言葉

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おはようございます😉

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『人生の鍛練』小林秀雄の言葉
日本の近代批評の創始者であり、確立者でもある小林秀雄。
厳しい自己鍛錬を経て記されたその言葉は没後、今日なお輝きを増し続け、人生の教師として読む者を導いている。
人間が人間らしく、日本人が日本人らしく生きるためには、人それぞれ何を心がけ、どういう道を歩んでいくべきか。
その一文である程度完結できる内容もあるが、前後の文脈がわからないため内容が十分にわからない部分もある。ただ、時系列に並べることで小林秀雄の思考の流れを読み取れるのは興味深い。
◯小林秀雄の言葉
困難は現実の同義語であり、現実は努力の同義語である。

◯たとえ社会がおれという人間を少しも必要としなくても、おれの精神はやっぱり様々な苦痛が訪れる場所だ。まさしく外部から訪れる場所だ。

◯重要なのは思想ではない。思想がある個性のうちでどういう具合に生きるかということだ。

◯広く浅く読書して得られないものが深く狭い読書から得られる。

◯不安なら不安で不安から得する算段をしたらいいではないか。

◯誤解されない人間など毒にも薬にもならない。

◯書物が書物には見えず、それを書いた人間に見えてくるには、相当な時間と努力を必要とする。人間から出てきて文章となったものを再び元の人間に返すこと、読書の技術というものも、其処以外にはない。

◯書物の数だけ思想があり、思想の数だけ人間がいるという、あるがままの世間の姿だけを信ずれば足りるものだ。

◯文学はやはり西洋ものを尊敬している。自分のためになるもの、読んで栄養がつくものはどうしても西洋人のものなんです。

◯人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれて来る。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、しかし彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚くべき事実である。

◯自己嫌悪とは自分への一種の甘えだ。最も逆説的な自己陶酔の形式だ。

◯諸君がどれほど沢山な自ら実行したことのない助言を既に知っているかを反省し給え。聞くだけで読むだけで実行しないから、読者はすでに平凡な助言に飽き飽きしているのではないか。だからこそ何か新しい気の利いたやつが聞きたくてたまらないのじゃないか。

◯僕等が自分たちの性格に関する他人の評言が気に食わぬのは、自分を一番よく知っているのは自分だという自惚れに依るものでは恐らくないだろう。凡そ性格に関するはっきりした定義を恐れているのだ。
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