飯島企画業務日誌

『いじめとひきこもりの人類史』正高信雄

Posted by 

おはようございます😉

 

unnamed

図書倶楽部
『いじめとひきこもりの人類史』正高信雄
霊長類学・発達心理学者の著者、野生の動物は不快なものには近づかない。危険を感じればすぐ逃げる。なのに何故人間の世界には”いじめ”が成立しているのか?その起源を歴史的観点から読み解いていく。
そもそも共同体の求心力と言うものを一定以上に保っておくためには、常に自分達の”敵”と言う者を意識しておく事が求められる。その際、自分達占有地域の外に居る”よそ者”は果たして今こちらを窺っているのか?が、不確かで、いつやって来るのか解らない存在だけでは求心力の低下は免れない。そこで、最も近くに居る”よそ者”と言う存在が不可欠になると言う。
普段3人以上の人が居れば、相手をからかう様な軽口も叩くが、2人きりだと言えない。第3者と自分の間に存在する太い心理的連合の絆が、その軽口を可能にするのだ。人間性とは誰でも同質なものではない。少なくとも2分されるようだ。”自然界”の中でどう生きていくか?と思う者と、”集団社会”で互いの利益を調整し、どう上手くやっていくか?と思う者が居る。
”職人”とは、土地に結び付いた生活を送らない階層に属する人々を指す名称の様で多種多様の職業でも共同体に属する人々からは蔑まれた眼で見られる無法者の群れと言うことだ。ヨーロッパにおいても共同体に馴染む事が出来ないままに、その外側へと追いやられた”ヴェルク”(人浪)は、仕事を求めて放浪を繰り返す中で職人的技能を編み出し、あるいは貿易を担う商人なっていったと考えられている。
異形性の特徴は3つのタイプに分類できる様だ、生理型(大力、大食)・知能型(能弁、頓知)・芸能型(芸達者、詞歌)である。彼らは《聖》性をおびたものとして諸役を免除され全国を自由に”漂泊”遍歴”出来る権利が保証されていた。西行は親衛隊として有職故実にも明るいと定評があったが、官職を辞し妻子もいるのを打ち捨てて出奔した。自分が周囲に居る人々に違和感を覚えれば、そう言う自分に否定的な感情を抱く必要も無く、また周囲に同化する必要も無い。嫌な思いをするのなら、さっさと離れれば良いのだ。ただ、それが出来ない今日の社会状況が、いじめを生む結果をもたらしている。
中世以降の文化人”西行”親鸞”芭蕉”良寛”長明”兼好”は異界に生きた異人の範疇に属すると言う。
日本人は元来、引きこもり傾向の強い文化風土の元に生活して来たと考えられる。そもそも日本人は欧米人ほどには、しっかりと相手とアイコンタクトを保ってコミニュケーションする習慣を持たない。
日本の社会風土は封建体制の確立以来、一貫して”逃げ場のない社会”へと加速度的に傾斜してきた。引きこもり社会問題化は、逃げ場のなさへのストレスが多くの日本人で臨界に達した時に顕著化し、病理現象のようにすら解釈され病名を名付けられる。
とりわけ、ここ40年で日本の産業構造は大きく変化し、サービス業が中心となった。自分は社交能力欠けるから、それを必要としない職種を、と言う職業選択が非常に困難になってバブルが崩壊した。逃げ場の無い社会に生活せざる終えないからと言う、ただそれだけの理由で生じた心理状態にすぎない事を”疾患”とレッテルを貼っているのは、逃げ場を”必要としない”世の中の多数派の傲慢な価値観である。ところが新型コロナウイルスのおかげで、この状況が変化する兆しが見えてきた。社交不安障害と診断をくだされた人の中には、マスクを付けないと外出出来ないと言う人が少なくない。従来の社交不安障害のスタイルがメジャーになるのだ。これからは働き方と学び方が過去より多用になり、引きこもっていた人材に活躍の場与えられ、そうした人々の人材が世に出るチャンスが提供されるだろう。
死もまた季節の到来の様に、眼前に次第次第に近づいて化していたが、近代化を経験した現代では、自らの最期を想像する事すら中々困難なるまで医療技術は進歩してしまった。ところが現在、突然自分の身辺に死が存在すると言う事を突き付けられている。
これから先に人類が進むのに貢献する為に求められる人材が、従来陽の当たらない場所に埋もれていた、レッテルを貼られている人の中から輩出すると言うような、災厄を奇貨に変える為の一番の近道かも知れない。

PAGETOP