飯島企画業務日誌

『知の体力』永田和宏

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おはようございます😉
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図書クラブ
『知の体力』永田和宏
読書や学びをすることの意味は、何も知らない存在であった自分を改めて知ること。
読書や学び、という行為の以前には、知らなかった世界ばかりである。それを知ることは、すなわち”それを知らなかった”を知ること。一冊の読書は、自分を見る新しい視線が自分の中に生まれる。
知の大切なことは、何か現実世界で問題が起きた時に、自分が持っている知識、情報の総体を駆使して、その局面にどうしたら対処できるのか、いかに乗り切れるか。
知の活用方は、あらかじめ自分の持っている知が豊富なほど、動員できる矢数が多くなる。集団の中に居る事の居心地の悪さ、自らの抱込んでいる孤独感、その様な世界との葛藤中にこそ自分自身の可能性に気付くことが大切で、他と異なる自分、”らしくない”自分に気付くことだ。
個々の場所や状況に対応して、いかに組み替えて、その場に固有の”知”として再構成できるか、自らの知で行えるよう訓練し最善手を模索するところに意味がある。
「皆が右を見ていたら、一度は左を向いて見よう」取り敢えず習慣として、一度は皆が向こうとしている逆方向を見てみる、皆が一つの方向を向き始めた胡散臭さを一度は疑ってみる。精神的な余裕と自分なり足の位置を決めようとする態度は、カオスへの坂道の転落を防ぐための歯車となるかも知れない。
言葉と言葉の隙間にあるはずの最も大切な表現を、感情を含めたアナログ世界をデジタル表現に変換するのが、詩歌や文学における言語表現である。もともと言語化できないはずのアナログとしての感情や思想があり、それを言語に無理やりデジタル化して相手に伝えることがコミュニケーションの基本だそうだ。言語を媒介しているので、受け手としては、どうしても言語の抱え持っている辞書的な情報そのものを送り手の伝える全てと考えてしまいやすい。送り手の内部でアナログのデジタル化は不十分で、特に複雑な思考や曖昧な感情などは伝わりずらい。しかし受け手はデジタル情報の隙間から漏れた相手の思いや感情を、自分の内部に再現する努力をして自分の中でアナログ化できる力を持つ。コミュニケーション能力の高さは、相手が言語化しきれなかった”隙間”を感じ取るデジタル表現のアナログ化であり、「思いやり」とも呼ばれるところのもので、今まで生きてきた人生の中で得た”知”を、それぞれの実際の場で生かしていきたい。
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