飯島企画業務日誌

『百の夜は跳ねて』古市憲寿

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『百の夜は跳ねて』古市憲寿
コメンテーターとしてさまざまな情報番組に出演している社会学者・作家の古市憲寿氏。番組に出演するたびに失言&暴言を連発し、中高年からすれば“生意気な炎上コメンテーター”としての立ち位置も定着しつつありますが、ただ、古市氏が放つ一連の“暴論”には一本筋が通っているときがあるのも事実です。
昨年の小説「平成くん、さようなら」に続きこの作品も芥川賞候に選ばれました。

「窓清掃員は窓の外で、中の奴らから幽霊みたいに無視されている。」先輩から「中は見るな」と言われ、そこには「向こう側には行くな」と言う境界線を作ってしまっているようだ。
主人公「翔太」の職場、ビルの窓清掃業で仕事中に亡くなった先輩が時折、話し掛けて来る。
「生まれてはいけない、そして死んでもいけない国(島)、生人しか居ない北の北にある実際に存在する島が有るんだってよ。」
「その島は夏は白夜でずっと太陽が沈まない、冬は極夜でずっと夜だと言う。何の許可もなく入国(仕事)が出来る、島。」
「その島に行けば生きていることを実感できるんじゃないか?」と脳裏に語りかけて来る。
そして、上層部から下に窓を清掃ししていく中、窓の外から仕事中に閉められたカーテンの隙間から、マンション内に住む老婆と目が合う、そして最下部の清掃終了後、上昇しながら拭きむらを点検する、再びあの老婆と目の合っただろう階に差し掛かる、カーテンは全て閉まっていた。しかし、窓に「3706」書かれていた翔太は呼ばれている様な想いがして、妙な出逢いによって物語が進んで行く。
翔太はそれなりに勉強もして就活するが中々、内定が取れない。学生時代の友達は企業に就職する、徐々にそんな友達から遠ざかり、負け組だと自分を卑下した生活を送っていた。現代社会は同じ土地に建つマンションにも格差が存在する、上と下。内と外、あっちとこっち、どこにでもある。
タワーマンションの37階に独り暮らしの老婆は本当は自然豊かな環境で暮らしたいのだが、自分の子供達に強要され仕方なくそこに住んでいた。そして翔太は頼まれる。
この老婆からのお願いは窓拭き作業中の窓の中を記録(写真)を撮ってきて欲しいと言うのだ。盗撮?とも思うが誰かを特定した物ではないと、了承する。
閉じ込められた老婆は室内では裕福な暮らしをしているが外の様子が気になるようで、写真を届ける度に翔太を招き入れ高価な食材、料理を出し二人で嬉しく話をしていた。
お互いの名前も交わさぬまま心は解け合っていた。
何も無い大きな老婆の部屋に無造作に置かれた多くの多種多様な空き箱は積み重なり疎らに広がる。只、広いだけの陰湿な空間を埋めるかのように。
普段見ることの出来ない部屋の中、見えないものは存在しない物、見える物だけが存在している。と言う考え方が次第に翔太の気持ちを動かせて行く。
翔太の届ける写真によってあの陰湿だった空間が街に生まれ変わった。そして常に閉めていたカーテンを開けると、その街は外界えと飛び出した。
この世界ってそんな悪くない。ある気付きや発見、出会いによって世界って見え方がまるで変わる。
ちょっとした気付きによって人生は、まるで変わってしまうと言うこと。
境界線は自分で作った「あっち」と「こっち」。
遠くまで見たかったら、自分でどこまでも出掛けるしかない。翔太は気付いた。
その時老婆の姿が消えた…


この作品も芥川賞を残念ながら、受賞出来ませんでしたが、ちょっと「炎上」しているようです。
木村友祐氏の「天空の絵描きたち」(窓清掃員)を参考文献に使用した事。文學界、2012年10月号の掲載のみで、書籍化されていない作品。
候補作品の一つでノンフィクション作品との類似が問題になったようです。文学は先行作品との関係の中で生み出されるものなので、引用や換骨奪胎の作法がしばしば問題になります。多様なコンテンツにアクセスできる時代だからこそ、「他者の言葉」を踏まえて創作する作家には覚悟が求められると言うのです。
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