飯島企画業務日誌

図書倶楽部 『この不寛容の時代に: ヒトラー「わが闘争」を読む』佐藤優

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図書倶楽部 『この不寛容の時代に: ヒトラー「わが闘争」を読む』佐藤優

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いつの時代いかなる国でも政治的経済的不満が高まれば、よそ者への不寛容に解決策を求める政治家が支持される。 「客観性・実証性を無視」「国家は目的ではなく手段」「人種は国家を超える」「宣伝と扇動の使い分け」など、それを極限まで実行したナチスドイツで、ヒトラーが民族絶滅にまで突っ走った理由を『わが闘争』から読み解く。 ヒトラーは人間の存在意義を生産性という尺度で考えている。アーリア人種の発展の役に立つかどうかがすべてだ。 その民族優越と革命のためのノウハウを説くなど当時のドイツ人にはトンデモ本扱いだったかもしれないが、「ヒトラーは純粋無垢だった」とした歴史家の言葉通り国民への選挙公約を(手段を選ばず)忠実に実行しただけなのか。 自分の説の補強に使える思想・理論だけを「つまみ食い」。世間では普通に多くの人がしていること。 彼の場合、その理屈を自国民の口に合うように砂糖でまぶして美味しく食べさせる能力が高かった。感情を篭絡する計算ずくの「人転がし」だったのだ。 女性には「健康な子どもを産み育てろ」という。個人の幸せではなく、アーリア人種のために。しかし「少子化だから子どもを産め」とか「労働力が足りなくなるから子どもを産め」という言葉は、今でもよく耳にする。これは、ヒトラーとまではいかなくとも、同じような発想だろう。 現代社会でも、ヒトラー的な発想は至るところに転がっているのかもしれない。当たり前と思っていることの中にも、辛い時ほど理性を忘れ、感情的な判断に走るのが人間では。 ナチス独特の論法が解説されるが、反知性主義を代表するこの書物には、何の感動も覚えない。むしろ、人類は「寛容より先に不寛容があった」という佐藤さんの指摘にハッとさせられた。プロテスタントとカトリックが、もうこれ以上戦えないと悟って最終的に見出したのが寛容だと言う。そうか、人類は不寛容が基準なのか…。 不寛容を訴える政治家が増え続ける今日、先駆者ヒトラーの政治技術を知る必要を痛感させられる。

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