飯島企画業務日誌

『鬼滅の刃』小説版

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『鬼滅の刃』小説版
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「鬼滅の刃」シリーズは、集 英社のJUMP j BOOKSから”小説版”も刊行されている。第1弾『鬼滅の刃 しあわせの花』、第2弾『鬼滅の刃 片羽の蝶』の合計で累計116万部を突破した。レーベル史上最速の売れ行きだ。
「人気マンガの小説版なのだから売れて当然だろう」と思う人もいるかもしれない。だが、それは違う。そもそもノベライズが1巻で数十万部も売れるのはまれだ。マンガのノベライズはアニメ化や映画化に合わせて1冊出すだけで、原作マンガが何百万部売れていても小説版の売上は良くて数万部といったものが大半だからだ。
ところが『週刊少年ジャンプ』からのノベライズを中心とするJUMP j BOOKSは違う。小説版第1巻が原作マンガ第1巻の約3~4割の売上を占めるタイトルもある。なぜ売れているのだろうか。

BOOKSは赤い色の背表紙で統一された新書判サイズの単行本だった。
だが『D.Gray-man』のノベライズでは赤背をやめ、カバーは全体が原作マンガと見まがうような装丁にし、書店店頭で並べて売りやすくした。これを機に、JUMP j BOOKSのノベライズは原作準拠の装丁が標準となった。
さらに集英社は小説版の発売日はジャンプコミックスと同じか翌月に設定。書店にはコミックスと小説を並べて2冊置ける面陳台を送り、いっしょに並べた方が売上が良いことを営業が書店に繰り返し繰り返し周知。これによって「j BOOKSはジャンプコミックスの隣に」という新しい“常識”を作っていったのだ。
さらにJUMP j BOOKSはノベライズの「中身」の革新も行った。
「マンガで読める話をただなぞっているだけでわざわざ文字で読む必然性がない」
マンガ担当と小説担当の別々の編集者が連携し、マンガ家のアイデアを最大限生かそうとする取り組みが行われている。
「週刊連載ではこれをやると順位が下がりそうだ」「膨らませると面白いが、脇道のエピソードなので連載のスピード感が落ちてしまう」といった理由でマンガ家がボツにしたネタを、小説担当の編集者がマンガ担当編集者にヒアリングして吸い出し、小説家につなぐ。一度はボツにしたアイデアをもとに打ち合わせを重ね、小説化する手法を確立した。
マンガではボツにはしたが、やりたかったネタが描かれることによってマンガ家のモチベーションも上がる。こうして、カバーの描き下ろしはもちろん、挿絵もラフなものが多いながらもマンガ家本人がすべて手がけるものが大半になった。
小説家には原作愛がある作家を選び、それでも登場キャラクターの口調や行動に違和感があればマンガの担当レベルでチェックする。このように原作マンガ家自身の負担は最小限にしながら、ファンが気にする“公式感”を最大化。マンガのTVアニメ化企画が決まると、ノベライズもスケジュールを組んで放映時には複数冊が書店に並ぶようにして売り伸ばし、金銭面でも原作者に報いる。
記事画像https://president.jp/articles/-/32992?page
画像撮影=菅原雄太

『君がいないと小説は書けない』白石一文

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図書倶楽部
『君がいないと小説は書けない』白石一文
勤めていた出版社の上司、同僚、小説家の父、担当編集者。これまで明かすことのなかった彼らとの日々を反芻すればするほど、自問する。書くために彼らと過ごしていたのか。妻や息子との関係もはっきりさせられず、結婚できない最愛の”ことり”との生活。悲しいほど実感がない”ことり”のすべてを、引き受ける。自伝的小説。

対人関係を耐え忍ぶことによって得られるものは小さく、ウマの合う相手と笑いあって過ごす喜びは驚くほど大きい。そうやって豊かな人間関係を築く為に何より必要なのは、自分の持っている双眼鏡で、すぐにピントの合う人を見つけ出すことにある。
客観的に不安が無いどころか不安だらけの状況だが、万事休すとなれば死んでしまえばいいと思えば一切の不安は心にない。
”パニック障害”を発症した著者は、これを”自己の消滅”と言う人間の根源的な恐怖から生じてくる。発作を防ぐには、自分はいつ死んでも良いのだと自らに言い聞かせ、受け身ではなく、先手を打っての死は恐ろしくない。
死は誕生と同時に定まる現実でこの世界には時間など存在せず、ただ距離だけが存在すると言う認識は、生と死を一体のものとして捉えるとリアリティーを帯び、自分がいずれ確実に「自分の死」に向かって一歩一歩近ずき、距離を縮めていく。この事実から、この世界には時間はなく距離だけがあるだけ、と言う考え方。
人間は自ら生まれようと決心して生まれる。それを許さない宗教がなぜ自殺を戒めているのか?強大な神を据えて、その万能の神の前にひざまづく信者は、神の意志で生まれなければならず、生命の生死の権能は全て神の手中にある。
人間が自分の意志で生まれて、自分の意志で死ねるならば、神の存在が狭められてしまう。自殺とは神に逆らう行為なのだ。そうした個人の行為を厳しく禁じながら、神の名の下に”戦争”虐殺”死刑”を繰り返す。
何かを体験、経験するとき我々は時間軸に沿ってしまう。しかし、体験を時間軸から外し、体験自体が瞬間的現実より長く、広く体験と追体験が並列的になる時に過去の思い出が繋がるのだろう。
自分の事を最も理解しているのは自分自身とは限らない。他人から指摘される自分自身の癖や考え方は自分では気が付かない。私達は他人の心の中に”自分”と言う手紙を配っているのかも知れない。自分がどんな人間なのか、全然知らずに。
また自分の死後、手紙を受け取った人が亡くなった時に致命的な死とは言えないだろうか?
常に変化し、存在した者はやがて影も形も失われる。
”私”と言うのは「私という体験」で、双眼鏡を覗いて事象や他人との関わりを観察する事、その双眼鏡を私達は五感と呼び、直感、霊感、思考、洞察、記憶と呼ぶ。
私と言う1つの「視点」は私自身を観察しているのかもしれない。
どれ程ピントの合った相手でも、見ることを止めてしまってはその人の双眼鏡が一体どちらを向いているかさえ読み取れなくなってしまう。
歳を重ねると、昔を回想する議会が多くなる。それと共に、すっかり忘れていた事を不意に思い出す。記憶と言うのは”消える”のではなく”隠れる”のだ。
この日本社会で出世の階段を上がっている人々は、”無責任能力”と”共感欠如能力”を兼ね備えた人達だ。その人は能力が競争相手に比べて秀でているわけではない。多くのまともな競争相手が責任感や哀れみの感情に従って競争から降りただけの事に過ぎない。
すべての人間は自己中心的で、自己欺瞞で、愛したり、尽くしたりしているのかもしれない。「直感でわかってしまう」「不思議に頻発するシンクロニシティ」この年齢の作家だからこそ描ける人生哲学を味わえた。

『この詞何の曲?』☆☆

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『この詞何の曲?』☆☆
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69年の映画のサントラに採用されたのは有名ですが、その後も多くの映画やCM等に使われています。
これを今日のハードロックのジャンルのヘビーメタルの語源とする向きもありますが、ただこの歪んだギターリフにヘビメタの元祖と言ってもおかしくない荒々しさがあるのは確かです。
エンジンかけて
ハイウェイを目指そうぜ
ヤバいコト探しに
何が起こったって望むところ
そうさ相棒、やらかそうぜ
この世界を愛で包んでやるんだ
迷わず銃を撃ち尽くせ
宙へぶっ放つんだ
煙と電光に
重金属の轟き
風とのレースがお気に入り
今のこの感じがたまんねえ
そうさ相棒、やらかそうぜ
この世界を愛で包んでやるんだ
迷わず銃を撃ち尽くせ
宙へブッ放つんだ
これが本当の姿
俺達はワイルドに生きるために生まれた
こんなにもハイになれる
ずっと生き続けてやる
ワイルドに成るべく生まれた
野性こそ天性

『アマビエ』

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『アマビエ』
アマビヱ)は、日本に伝わる半人半魚の妖怪。光輝く姿で海中から現れ、豊作や疫病などの予言をすると伝えられている。
【注意】以下の文章は、アマビエの出現を伝える瓦版の内容を書き起こしたものですが、完全ではありません。
肥後国海中え毎夜光物出る。
所の役人行見るに、づの如く者現す。
私は海中に住、アマビヱと申す者也。
當年より六ヶ 年の間諸国豊作也。併し、病流行、早々私写し人々に見せくれと申て、海中へ入けり。
右写し役人より江戸え申来る写也。
弘化三年四月中旬
江戸時代後期の肥後国(現・熊本県)に現れたという。この話は挿図付きで瓦版に取り上げられ、遠く江戸にまで伝えられた。
弘化3年4月中旬(1846年5月上旬)のこと、毎夜、海中に光る物体が出没していたため、役人が赴いたところ、それが姿を現した。姿形について言葉では書き留められていないが、挿図が添えられている。
その者は、役人に対して「私は海中に住むアマビエと申す者なり」と名乗り、「当年より6ヶ年の間は諸国で豊作が続くが疫病も流行する。私の姿を描いた絵を人々に早々に見せよ。」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行った。
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新型コロナウイルス感染拡大を受け、江戸時代の瓦版に掲載された半人半魚の妖怪「アマビエ」の絵を会員制交流サイト(SNS)に投稿する人が相次いでいる。「病がはやったら私の写し絵を人々に見せよ」と告げて海に消えたとの言い伝えがあり、終息への願いが広がりを見せている。
 長い髪にくちばし、うろこに覆われた胴体。3月に入り、ツイッター上には、瓦版のアマビエを現代風にアレンジした絵がじわじわと増えた。粘土細工や刺しゅう、切り絵、漫画などさまざまな作品の写真も「疫病退散」「早く終息しますように」などの言葉を添えて投稿され続けている。

アラン・メリル

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「I Love Rock ’n’ Roll」の作者で元ジ・アローズのフロントマン。また、”かまやつひろし”等と”ウォッカ・コリンズ”を結成し、日本に縁が深かった”アラン・メリル”が、3月29日亡くなった。69歳だった。新型コロナウイルスに感染していたという。
彼の娘でフォトグラファーのローラ・メリルは、Facebookを通じ「今朝、コロナウイルスが父の命を奪った」と訃報を伝えた。彼女は2分間、別れを告げる時間を与えられたものの、父の状態は落ち着いていたため、まだかすかな望みを抱いていたが、家に戻ったとき亡くなったとの知らせを受けたという。
「どうしてこんなことに? 数週間前、彼のショウに行ったばかりだったのに。ニュー・アルバムのために彼の写真を撮ったばかりだったのに。テキスト交換したばかりだった。彼は“風邪”だろうって軽く考えてた。私は“ロナ”について、数えきれないほど冗談を言ってた…ああ、馬鹿だった」と綴り、「これを真剣に受けとめてくれるよう、皆さんにお願いします」「死ぬ人たちがいる。自分や家族には関係ないと思ってるでしょ。あるわ。家にいて、自分のためでないとしても…ほかの人たちのために。父のために」これは”本物”と、注意を促した。
アイ・ラブ・ロックンロールをお聴き下さい→https://youtu.be/8AT_Pbtyid0

『六曜』

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『六曜』
六曜(ろくよう)は、暦注の一つで”先勝”(せんしょう)・”友引”(ともびき)・”先負”(せんぷ)・”仏滅”(ぶつめつ)・”大安”(たいあん)・””赤口”(しゃっこう)の6種の曜があります。

日本では、暦の中でも有名な暦注の一つで、一般のカレンダーや手帳にも記載されていることが多いですね。今日の日本においても影響力があり、「結婚式は大安がよい」「葬式は友引を避ける」など、主に冠婚葬祭などの儀式と結びついて使用されています。

六曜が中国から日本に伝来したのは14世紀の鎌倉時代とされています。江戸時代に入って六曜の暦注は流行しましたが、その名称や解釈・順序は少しずつ変化しています。例えば小泉光保の『頭書長暦』では大安、立連、則吉、赤口、小吉、虚妄となっています。六曜の先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の術語が確定するのは江戸後期のことです。

仏滅や友引という、仏事と関連のあるように見える言葉が多く使われていますが、仏教との関係はないそうで、仏事と関連のあるように見える言葉が多いのは当て字によるもの様です。占いを盲信して本質がおろそかになればかえって悪い結果になるとして、仏教では占いを否定しています。また、日本仏教の宗派の一つである浄土真宗では親鸞が「日の吉凶を選ぶことはよくない」と和讃で説いたため、迷信、俗信一般を否定して、仏教においては本質的に因果関係によって物事が決まり、六曜が直接原因として物事を左右することはないとしています。

太陽暦へ改暦されるにあたり、「吉凶付きの暦注は迷信である」として、政府は吉凶に関する暦注を一切禁止、尋常小学校の教科書にも迷信を信じるなと記載されました。しかし、暦注の廃止は人々の反発を招き、1882年(明治15年)頃から俗に「オバケ暦」と呼ばれる暦注が満載の民間暦が出回るようになりました。
第二次世界大戦後は政府による統制も廃止され、六曜などの暦注を付したカレンダーも一般に販売され広く用いられました。

「先勝」は、早くことを済ませてしまうことが良いとされる日。「先んずれば即ち勝つ」の意味。午前は吉、午後は凶と言われます。急用の処理や訴訟には吉日とされています。

「友引」は、勝負の決着がつかない良くも悪くもないとされる日。葬儀を行うと、友が冥土に引き寄せられる(=死ぬ)とのジンクスがあり、友引の日は葬祭関連業や火葬場が休業となっていることがありました。しかし、六曜は仏教とは関係がないため、友引でも葬儀をしています。「ともびき」という読みが一般的となっていますが、中国語の「留引」を「ゆういん」と読むことがルーツとなっており、訓読みとなって「ともびき」と当てはめたため、「友を引く」こととは関係がありませんでした。なお「留引」は、現在あることが継続・停滞することを表し、良き事象なら継続を、悪き事象なら対処を、という「状況を推し量り行動する日」でした。

「先負」は、急用は避けるべきとされる日。争い事や公事も良くないといわれ、万事に平静を守ることが良いとされています。「先んずれば即ち負ける」の意味で先勝に対応する。午前は凶、午後吉と言われます。かつては「小吉」「周吉」と書かれ吉日とされていましたが、字面につられて現在のような解釈がされるようになりました。

「仏滅」は、六曜における大凶日。もとは「虚亡」といい勝負なしという意味で、さらに「空亡」とも称されていましたが、これを全てが虚しいと解釈して「物滅」と呼ぶようになり、仏の功徳もないという意味に転じて「佛(仏)」の字が当てられたものです。「何事も遠慮する日、病めば長引く、仏事はよろしい」ともいわれ、また『物滅』として「物が一旦滅び、新たに物事が始まる」とされ、「大安」よりも物事を始めるには良い日との解釈もあります。

「大安」は、万事進んで行うのに良いとされる日。「大いに安し」の意味。六曜の中で最も吉の日とされています。何事においても吉、成功しないことはない日とされています。「泰安」が元になっており、婚礼や建前などの日取りなどは大安の日に行われることが多いです。自動車の登録日や納車日、建物の基礎工事着工日や引渡日をこの日にするという人も少なくないでしょう。

「赤口」は、正午の前後を除いて凶日とされる日。午の刻(午前11時ごろから午後1時ごろまで)のみ吉で、それ以外は凶とされています。
この日は「赤」という字が付くため、火の元、刃物に気をつける。つまり「死」を連想されるものに注意する日とされています。

記事https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%9B%9C
画像https://takimotobukkodo.co.jp

『オリンピア700』TOKYO 2021

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『オリンピア700』TOKYO 2021
古代ギリシャについて研究する”藤村シシン”(@s_i_s_i_n)さんは、専門家の視点から興味深い知見をツイートしています。

第1回古代オリンピックから数えると2021年が本来の「4年に1度」の年であり、そのうえ古代ギリシャの暦では記念すべき700回目のアニバーサリーにあたるといいます。

オリンピックが来年に延期されると、第1回古代オリンピック(紀元前776年)から数えて2796年目の、記念すべき第700オリンピア紀に行われることに……。もし古代から4年に1回いままで競技祭が続いていたら、ちょうど第700回目のオリンピア競技祭と言うことです。

藤村さんは、NHK生放送内でオリンピック採火式の古代ギリシャ語を同時通訳したほどのその道の権威。

ツイートによれば、古代オリンピックと近代オリンピック(夏季)の開催年には、これまで1年のズレが生じていました。
第1回古代オリンピックが開催された年は紀元前776年。その後、一旦の断絶を経て、近代オリンピックとして再開されたのが紀元1896年です。数字の上では「776」も「1896」も4の倍数であり、一見すると違和感は覚えません。
しかし、紀元前1年の翌年が紀元1年になる(西暦0年が存在しない)関係で、断絶なくオリンピックが執り行われていた場合、本来の開催年は「紀元4x+1年」。すなわち2020年ではなく2021年こそ、古代ギリシャから続くオリンピックイヤーにあたるのだとか。
しかも第700オリンピア紀というとてつもないキリ番。前回の第600オリンピア紀は400年前だから江戸時代始まったばっかの時……。「生きてる間にこんなことがあるなんて。」
藤村シシン(@s_i_s_i_n)さんのツイート/2020年3月24日
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さらに藤村さんは、2021年は「とてつもないキリ番」の年であるともツイート。
古代ギリシャでは、オリンピック開催周期を1サイクルとする暦の単位「オリンピア紀」が用いられていました(1オリンピア紀=4年)。第1回古代オリンピックが開催された紀元前776年から数えると、2021年夏は第700回目の開催タイミングであり、記念すべき700オリンピア紀がスタートするアニバーサリーです。延期どころか東京開催が決定する以前から、“700オリンピア紀”の到来を心待ちにしていた藤村さん。ブログの過去記事をたどると、10年以上前から言及していることがわかります。

編集部の取材に対し、藤村さんは「延期自体は大変なことですが……」と前置きしたうえで、古代ギリシャ研究家の立場から以下のようにコメントしています。
「7はアポロンの聖なる数であり、古代ギリシャでも超ラッキーナンバー。今回の700オリンピア紀は古代ギリシャ人が生きていたら一番見たかった時代の競技祭だろうなと思います。777オリンピア紀はもっと縁起がいいですが、309年後なので、そこは未来の人に頑張ってほしいです。700オリンピア紀の記念すべきオリンピア競技祭、なんとか無事に開催できることを願っています。」
記事https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200325-00000093-it_nlab-life

『エイプリルフール』

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『エイプリルフール』

毎年行われる企業のエイプリルフールイベントについて、自粛のムードがネットで強まっている。
Googleは、今年のエイプリルフール企画を自粛するよう社内に呼び掛けたメールが海外メディアにリークされ、今年の参加はないとの見方が有力。一方、Microsoftは2019年の時点で、エイプリルフールイベント禁止のお達しが社内に出回ったとされており、実際に2019年は参加が見送られていることからも、今年も不参加が濃厚だ。また、MashableはIT企業に向けて今年は新型コロナウイルスに関連してエイプリルフール記事を公開しないよう呼び掛けているほか、国内では株式会社Specteeがエイプリルフールに便乗した新型コロナウイルス関連のデマの監視を強化することを表明。SNSでも、今年は不謹慎とみなす意見が大勢を占めており、中には監視する動きもあるようだ。
記事https://internet-watch-impress-co-jp.やじうまWatch
エイプリルフールの起源は全く不明である。すなわち、いつ、どこでエイプリルフールの習慣が始まったかはわかっていない。有力とされる起源説を以下に挙げるが、いずれも確証がないことから、仮説の域を出ていない。以下に挙げるのは、その例である。その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。これに反発した人々が、4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめた。

インドで悟りの修行は、春分から3月末まで行われていたが、すぐに迷いが生じることから、4月1日を「揶揄節」と呼んでからかったことによるとする説もある。
(信者はその説教の期間がすぎると修行のかい無く、もとのもくあみにもどるので、他人に無用な使いに走らせておもしろがった)
この説によれば、インドの「揶揄節」が西洋に伝わったものがエイプリルフール、中国に伝わったものが「万愚節」になったという。

イングランドの王政復古の記念祭であるオークアップルデー(Oak Apple Day)に由来を求める説がある。

フランスではエイプリルフールを Poisson d’avril(4月の魚)といい、子供達が紙に書いた魚の絵を人の背中にこっそり張り付けるいたずらをする。この『4月の魚』とはサバのことを指すと言われ、ちょうどこの頃にサバがよく釣れるためこう呼ばれるとされる。

日本には大正時代に欧米のエイプリルフールが伝わったが、前述の中国の「万愚節」が江戸時代の日本に伝わり「不義理の日」と呼ばれていたという説もある。
記事https://ja.m.wikipedia.

『カタン』

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『カタン』
みなさん”カタン”ってご存知ですか?
名前くらいは知ってるけど、どういったものかは知らないという方が多いんじゃないでしょうか。
カタンは言うなればボードゲームの王様、ボードゲームの中のボードゲーム。
街中でボードゲームといえば?と聞いたら”人生ゲーム”の次に多い答えが”カタン”なんじゃないか、というレベルで有名なボードゲームです。
カタンの開拓者は資源を活用し開拓地や都市を建設し自分の領土を増やしていくゲームです。1995年の発売以来、累計販売数2000万個というバケモノ級に売れています。モノポリーに次いで世界で2番目に売れているボードゲームらしいです。
カタン11
マップ上には数字&資源が書かれた六角形のタイルがあり、その上に自分の開拓地等を建設します。サイコロを振って書いてある数字が出た時に資源を獲得することができ、資源を使い自分の領土を増やしていくというのがゲームの流れです。
これだけではサイコロの出目次第であり、いわゆる運ゲーか?と思われるかもしれません。しかしカタンには”交渉”という要素があります。自分の手番に自由に交渉することができるので、自分の手札にない資源を他プレイヤーと交換することができます。
交渉上手になってカタン島の開拓王になりましょう!!
「不要不急の外室は避けましょう」と騒がれる中、自宅で家族団らんするのも良いかも知れませんね。
”カタンユニバース”という無料アプリもあるそうですよ。

『占』木内昇

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図書倶楽部
『占』木内昇
男尊女卑という不合理な概念がまだまだ幅を利かせていた頃の大正~昭和初期を舞台に、多様な占いに翻弄される女性たち。7つの短編全てが独立しているのではなく、少し絡み合う所もより楽しめた

好きな男の心が知りたくて占いジプシーになってしまった翻訳家、桐子(とうこ)。
彼女は自然に、心のままに、自分でも気が付かないうちに選び取っている、そう言う進み方が出来ないことの煩わしさに捉われる。そこで抱える悩みにどんな意味があるのだろうと思えば、余計に身体が重くなったってしまった。

千里眼に成ってしまったカフェ勤務の杣子(そまこ)は何一つ特徴の無い、ここに居るのにどこにもいない様な影の薄さを纏っていた。最初は千里眼で見えたままを語っていたが、本人が納得出来ないと何度でも来るのが面倒になり相手が求めるものを語った。どれが真実なのかなんて、誰にも解らない。真実をどう受け止めるか?これを知った杣子は体にうずくまっていた澱(おり)が溶けて流れていった。

知枝は、学校には入れたものの、瞬く間に落ちこぼれ英語の家庭教師につくことになり、一話の”桐子”の家で勉強することになった。この家の仏壇の若い青年の写真を見て、彼の話を聞けば人柄や、博識で真摯な様に魅了されだが、その青年は桐子の祖父だったが、もっと知りたいと”口寄せ”にはまっていく。事実は美しい昔話では無かったがどんな男性と添い遂げるかを、道の先に明るい光が灯った。

自分は普通(凪)の家庭と思い込んでいて、ご近所の家庭の優劣を双六に見立てて自分の幸せ度を確認する主婦、政子。こんなことを始めなければ、知らなくて良かった、事実を知ることになる。
他人の家に勝った負けたと一喜一憂しては生きる実感を得ているのだ。

綾子は大きな薬品会社として雇われた。若くて美しい彼女が人一倍早く正確に仕事をさばくと、周りの男達は綾子を煙たがった。小娘より劣っている男、職歴も遥かに長いのに仕事が出来ない男は男として見ることが出来ず、父の築いた一家、大工の深見組を継ぐ。しかし、そこで扱うのもまた男達と言うことを失念していた。やはり問題は次々に現れ、そして”喰い師”に通い始める。喰い師は只、愚痴を聞くだけで何も言わない。しかし翌日になると綾子の気持ちがスッキリする。言うことで心が整理されるのか?頭でなく心のままに行う、そうやって生きにくさを抱えて行く覚悟ができた。このときは胸に曇りなく、自分に問いかけても、喰い師に思いを霧にしてもらうものが一欠片も見当たらなくなった。

町の外れの鷺行町に朝生屋という遺影を本物以上に描く男がいる。ここの遺影は評判でそれを見ていると寂しくないと言う。”恵子”の叔母もここで描いてもらい、夫が「今にも額から出てきそうで、奇妙な心地だった」と言っていた。
綾子の同級生で夫婦二人暮らしの、中々子供を授からない恵子のもとに猫を追いかけて男の子が庭に入ってきた。”ゆうた”と言う四歳児。二階の物干しから見ていた恵子に”お空に行く台だね”と言う。そして、この暑い時季に黒い背広に山高帽の、ひどく痩せた白い髭の老爺が「帰るぞ」と連れて帰る。子供のいない恵子は、ゆうたがまた来るのを待ちわびるようになる。
あっちに渡らず、画をまとって魂が生き直してしまう。そして恵子のゆうたに対しての優しさが仇となるが、そのあと恵子が身ごもった。

佐代は二十歳を迎えた今に至るまで特にやることも無く花嫁修業として家事を手伝うばかりで退屈し、絵に興味があったわけでも無いが気晴らしになればと、甘い父に稽古代を無心して通い始める。その絵画教室の富久子は主婦でありながら個展も開く著名な画家だった。ここに出入りしていた画材屋が”武史郎”だった。間もなく教室後、休日に共に出掛けるようになるが武史郎に婚約者がいる?と言う話を聞き不安になる。そこに「占い」の文字が目に留まった。
初めに鑑定したのは”読心術”佐代を通して武史郎に潜る。読心術は未来を見る力はない。チョッとした行動で未来は変わってしまう。本当に今現在だけの事。最後に千里眼の杣子が語りかける、認められる事だけに囚われるのは、さもしい事なのだ。

先をも見えぬ中で占いに縋る女性たち。僅かばかりの希望を求め、身も心も楽になるはずが…何故、他者との関係で、そこまで不安になるのか。これに立ち向かって克服しない限り同じ事の繰り返し。
いつの時代でも人間は不安を覚えると形ないものに縋り付いてしまう。自分の望んだ占いには喜び、期待していない答えには疑心暗鬼で望む答えにたどり着くまでさ迷い、深みにはまってしまう。
占いに行くのは自分の気持ちを後押ししてもらいたいから。

読み終えてしまうのがもったいなくて、じっくりと読んだ。 一編、読み終えては、物思いに耽る。どの女性たちも、こう教えてくれる。 幸せは、他者から与えられるものではなく、 私達は自分の人生を、あらゆる工夫を凝らして、自分の選択と行動で生きていくのです。
人が占いの果てに見つけるもの、それは自分自身なのだから。

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