飯島企画業務日誌

『パワハラとの人間関係』前編

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『パワハラとの人間関係』前編
2019年は組織のパワハラやセクハラに関する不祥事が相次いだ。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「お釈迦さまも、パワハラをする弟子に頭を悩ませていた。そうした人間に対処するには、パワハラやセクハラの原因が、自分に自信の持てない者の嫉妬に由来することを知るべきだろう」という――。
こうした問題にどう向き合えばいいのか。今回はお釈迦さまの言葉をもとにして、パワハラ・セクハラの解決法を紹介していきたいと思う。
パワハラ・セクハラが横行する企業は、労働者本位の健全な組織とは言えない。いわばブラック企業だ。そうした企業では社内全体の人間関係もギスギスしていく。いずれ組織全体が傾くのも時間の問題だろう。
何事も円滑にいかないことを、家屋の建具の不具合になぞらえて「ガタピシ」と言うことがある。今では木の建具が少なくなっているので、ガタピシという言葉は死語に近いかもしれないが、昔はよく「ふすまが、ガタピシしてきた」などと言ったものだ。あなたの会社はガタピシしていないだろうか。
ガタガタ、ピシピシという擬音語から「ガタピシ」が生まれたと思う人は、多いだろう。しかし、実は仏教用語なのだ。漢字で書けば「我他彼此ガタヒシ」である。
これは、「我=自分」と「他=他人」、あるいは、「彼岸=悟りの世界」と「此岸=迷いの世界」との二項対立の構図を表したもの。
仏教はほんらい、無我(永遠不滅の実体があるものは存在しない=とらわれない)の悟りの境地を理想としているので、「私が」「あいつが」というような意識を持っている人は、悟りからは程遠い「迷い」の状態にあると言える。
このような人は、日頃の行動が独善的(自分にとらわれた状態)になり、他者への気配りができない。ひいては、パワハラやセクハラなどの問題行動を引き起こしてしまいかねない。多くの組織では、同僚たちと比較する形で、相対的な成果が問われる。なかには自己の評価を上げるために相手を攻撃し、陰で誹謗して相手を陥れる者は決して少なくない。客観的に見ればそれは「自己防衛」の裏返しだろう。しかし、攻撃されるほうはたまったものではない。
他者を傷つける行為は、お釈迦さまも嘆きのタネであったようで、お釈迦さまは、このようなことを言っている。

『愚かな人は他人に害を与えることを好む。
その言葉にはまごころや真面目さがない。
他人に与えることをしないで、奪うことをする。
そのような人は好んで他人の女を犯す』
『法句経』第26章 心を汚す煩悩の章 10――宮澤大三郎著

いまふうに言い換えれば、「パワハラをする人は自制が効かないのが特徴で、言葉遣いも荒く、人の成果をも自分の手柄のようにし、セクハラも犯す」ということか。あなたの会社に、このような暴力的でかつ、女性関係にもだらしない上司や同僚はいないだろうか?

また、お釈迦さまは、パワハラの気のある弟子をこのように諫いさめたことがあった。
お釈迦さまの弟子にアトゥラ信者という、相手を思いやれない者がいた。彼はある時、教えを授かりに、「禅定第一」と呼ばれたレーヴァタ長老のところに向かった。しかし、長老は静かに瞑想をするだけで、何も語ろうとしなかった。ムカッとした信者はこの長老を罵ののしり、去っていった。
次に信者が向かったのは、サーリプッタ長老のところだった。この長老は「智慧第一」と呼ばれ、お釈迦さまから最も信頼されていた人物だ。長老は信者に理解できないような難解な説法を始めた。すると、また彼は怒って去っていった。
次に信者が向かったのがアーナンダ長老のところ。長老は「多聞第一」と呼ばれ、お釈迦さまのとくに近くで仕えた人物で知られている。この長老は子供に理解させるように、やさしく説法をした。しかし、信者は「物足りない」と腹を立ててしまった。
そして、最後に向かったのがお釈迦さまのところだった。お釈迦さまは、諭したものの、最後は「愚かな者たちの非難や賞賛には際限がない」と嘆かれたという。
お釈迦さまの時代も、今も、組織の中での人間関係は似たようなものだったようだ。常に自分を正当化し、相手の非をなじるような者に、己の愚かさを気づかせ、改心させることは至難の業なのだ。
https://president.jp/articles/-/32128?page=1 2
後日、後編へ続きます 。

『ヒゲ』

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『ヒゲ』
先史時代では、寒さからの保護や戦いの際に肌を守る目的のため髭は残されました。また多くの文明では、髭は神性や権威を表すとも信じられ、髭を蓄えた古代の王様や権力者達の肖像がたびたび描かれています。古代エジプトでは、特に位の高い者たちは衛生面から体毛を剃り落とす事が多かったのですが、その代わりにファラオ達は男女かかわらず金属製の髭飾りをつけたという記録が残っています。
髭の有無やスタイルは時代とともに繰り返されました。16世紀のヨーロッパでは全体に生やした髭が流行しましたが、17世紀になると髭は整えられた小さなスタイルとなり、18世紀ロココ時代にはきれいに剃り上げられた顔が好まれました。
19世紀になると再び髭の時代の到来です。特にイギリスのヴィクトリア朝時代の男性たちは時には奇抜とも言える大小さまざまな髭を生やし、念入りに髭の手入れをしました。
記事画像引用https://www.uniphoto.co.jp/special/beard/

ヒゲは男性の生き方と無縁ではないと歴史は語っているようです。
日本では、平安時代半ば過ぎまでは、僧侶以外はヒゲを生やす風が一般的であったようですがその後、徐々にヒゲを剃る風習が広まり始める一方で、武士はヒゲを蓄え続けていたそうです。
近現代はファッションアイテムの一つとしても考えられ、
生やすも、生やさずも個性とされております。
武士が権力を握っていた時代を反映し、多量のヒゲを蓄え、武威を誇示。女性に対する男性を示す記号だったと思われます。ところが江戸期は、上層の武士からヒゲを剃る習慣が広がり、1670年には徳川家綱による「大ひげ禁令」で、ヒゲを蓄えるのが制限されます。泰平の世では、男性の概念が変わったのでしょうか。江戸期は「ヒゲ=野卑」という考え方が支配的でしたが、幕末の外国人来日を機に変わります。立派なヒゲを蓄えた姿から、「ヒゲ=文明」のイメージに転換していきました。
近代化で月代を止めて断髪する動きとともにヒゲも復活します。明治天皇が1873年に断髪し、洋装にヒゲを蓄えた姿が外交儀礼で撮影されました。当時のトレンドを象徴しています。
1895年に安全カミソリが発明。第一次大戦では米軍兵士がヒゲソリの習慣を身に着け、日常生活にも広がっていきました。昭和初期の日本でも、アメリカ映画の影響などにより、「モガ」(モダンガール)と呼ばれる若い女性がヒゲを忌避し、「モボ」(モダンボーイ)と言われた男性もヒゲなしが増えます。当時の日本映画でも男性がヒゲを剃ったらモテモテになった話が制作されました。
「ヒゲ」を漢字で表すと、生えている部位などによって、様々な文字があります。唇の上や鼻の直下にあるのは「カミツヒゲ」などと呼ばれ、「シ」の音でる「頾」や「髭」と表記します。頬にある「ホホヒゲ」は、漢字で「髯」「髥」など「ゼン」と呼ばれる漢字です。アゴヒゲは「シモツヒゲ」「シタヒゲ」などと呼ばれ、漢字では「須」「鬚」と表記、音では、「シュ」または「ス」と呼ばれます。そして、両耳にあるヒゲは「鬍」(コ)。唇の直下にあるヒゲは「承槳」(ショウショウ)と言われます。
軍国主義が台頭すると、ヒゲ愛好家たちが運動を展開。新聞記事やラジオ番組で「ヒゲの復権」ともいえる論調が広がり、1938年には読売新聞が「戦争とヒゲ」と題した記事を掲載しました。
ヒゲについては軍隊で明確な規則はなかったそうです。勇猛さや威厳を示すためにヒゲを生やす将校もいましたが、一般兵士は安全カミソリを使っていました。
戦後はヒゲ事情が一変します。1953年の読売新聞には「朝のヒゲ剃りはエチケット」との記述があり、高度成長期には、ヒゲ剃りがサラリーマンのたしなみとして定着していきました。77年11月の「週刊小説」では、サラリーマン社会とヒゲの関係を論じた記事が掲載され、大手商社広報の「若い社員で伸ばしている豪傑はいない」というコメントが紹介されています。東京都が1973年に行った調査でも男性の「ヒゲ率」は5%にとどまりました。
ベトナム反戦などで学生運動が盛り上がった60年代後半、サラリーマン社会に異議を申し立てるように、ヒゲを生やす人々もいました。当時の「週刊朝日」(69年1月24日号)には、「ヒゲ・ブームを支えているのは、権力とは無縁のヒッピー族やジャズバンド・マン、アングラ族」という記述がある。折しも、キューバ革命でカストロを支えたカリスマ的革命家、チェ・ゲバラのヒゲを蓄えた勇姿が、反体制の若者たちを惹きつけたようです。
1990年代に入ると「無精ヒゲ風」ブームがやってきます。「男のアイデンティティー」をおしゃれに表現したのが「無精ヒゲ」と考えられているそうです。
「メンズノンノ」2002年11月号のグラビア写真には中田英寿・ベッカム・イチローをはじめとする多くの無精ヒゲの男性の写真が載り、流行が長期化していることが分かります。
最近では、「スーツに似合うヒゲ」といった企画も雑誌の特集でくまれはじめており、「“手入れしたヒゲ”」はファッションの一部といった考え方も広まり始めているようです。
記事引用https://www.kai-group.com/products/kamisori/column/history/

『奈落』古市憲寿

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『奈落』古市憲寿
藤本家の両親のもと、二人姉妹の妹の”香織”はこの家が嫌で幼い時から、早く独立したかった。母は自信の生活範囲の中でクイーンダムを作りたがるタイプの人間だった。母よりも鈍臭い父を結婚相手に選んだのは、統制を利かせるからだ。姉は母が居れば母に媚びり、父しか居なければ、父に媚びる。しかし、香織だけは母の家臣になりきれなく、物心がついた頃から母が嫌いだった。
この家から抜け出せなかった香織にとって、途方もない規模で語られる宇宙の物語は胸が踊った。いつか大人になったら、この家やこの町どころか、地球さえも脱出できる。しかも、その日は遠くない未来。ある時、母が買ってきたカーテンは全く気に入らなかったけど、もうすぐ出て行く部屋だからと、心にもなく「ありがとう」と母に言ってしまった。これが、母との心の掛け違いの始まりとは思わなかった。
母に強制され、ピアノを習うのは嫌だったが、それがこの家からの脱出の絶好の道具となった。高校でバンドを組み、今まで自由にならない思いを、楽曲に繁栄させて、香織はメジャーデビューすることになる。念願だった家を出て恵比寿のタワーマンションで自分好みの内装、家具に囲まれた。順調にヒット曲を出して来たが、憎しみと怒りから造り出した意味深い曲は浮かばなくなる。自由を手に入れた香りはスランプ気味になっていた頃、香織はツアーで新曲を歌い終えたあとで暗転の時に、奈落に落ちた…。

気がついたときは病院だった。長く眠っていたようだ。しかしなんか変だ、ゆっくりと体を動かそうとすると、どの体の部位も反応しない。動かせるのは、かろうじで瞼と瞳だけ、それも思うようには動かせない。香織の顔を覗き家族や医師が話しかけてくる。
「わかりますか?」「香織!」

「分かってる!」「聞こえてる!」
でも、声が出ない、通じない。まるでサナギの中で小さな穴から外を覗いているみたいだ。体が痒い、指の位置が悪くて痛い、何も表現出来ない香織に気が付いてくれる人はいない。他者には植物人間と思われている。
「何で体が動かないのに痛みや痒みがあるのよ!」

そして、帰りたくない実家に連れ戻された。その古い家に寝かされた香織は毎日、天井のシミを数える。123…15 16 17…21 22 23…56 57 …そして…81
この数には意味がある。一つ一つの過去の思い出をそのシミに関連して毎日数える思い出。
こんな中、母と姉は自分勝手な事ばかりする。間違っていると香織は思うものの、意志疎通が出来ない。怒りはつのる。母と姉は同じタイプの人間、父は香織の見方と思っていたが、父までも…

人々に好まれる歌は、何十回、何百回、何千回と繰り返し唱和される。だから場所や集団に対する帰属意識を醸成するのに歌は向いている。だけどその分、歌は人々をひと処に留まらせようとする。きっと歌う人類はこの地球の片隅で、ひっそりと生きていた。そして次の人類にバトンを渡し、消えていったのだろう。でも歌そのものが消えることはなかった。物語、歴史、戦争、平和などを伝え記録し鼓舞したり求めるために。人類は文字を持たなかった期間の方が長い。歌はきっと文字の代わりだった。旋律に乗せたほうが遥かに覚えやすい。
多くの神話は歌で伝わってきたのだと思う。文字に記録されてしまった瞬間に、メロディーは消え、原型が解らなくなったけれど初めて聞いたはずなのに懐かしく感じる旋律は、もしかさしたら神話かもしれない。

痛みや痒みから逃れるように、他の事を考える。昔はメモに取らないと忘れてしまう言葉も、今は全く忘れない。恨みや怒りから”許し”の感情が芽生えた時、素晴らしい楽曲が芽生えて淀みなく溜まっていった。

瞬間的に嫌いだと思ってしまったことでも、事情をよく知れば納得出来るかも知れない。もしくは期待しすぎていたのか。勝手な思い込みで勝手な仮説を立てて、何かが都合よく自分の手の内にあると思い込んでいた。
誰にも確かめる術のない一人ぼっちの記憶は、妄想と何一つ変わらない。
妄想でも良い。不確かな合意が作り出す歴史はすぐに覆ってしまう。だけど強烈な妄想は時に歴史を変えることもある。
意見を持っていても、それを表明することがいいこととは限らない。大した考えも持たない人々が大声で自らの主張を捲し立てても、ただ秩序の崩壊が起きるだけ、それならば黙って全てをやり過ごす方がいい。

人気とは恐ろしい。どんなに冴えない人間でも、その瞬間は時代をまとい、輝き、個性的に見える。そんな魔法は期間限定だ。何者かで居られる時間は限られている。
自信も物のように扱われ、外界と遮断された世界に居れば、とっくに全てを諦めていた。

本当の家族の愛は”想い違い”それを知った香織はこの後、どうなるのか?気になった方は読んでみて下さい。

古市憲寿さんは寂しがりやで、炎上にて生きていることを確認しているように想います。おそらく、無視される事が一番怖い人なのでは?
これは、私の中の古市氏の印象です。
読み出すとグイグイと”読まされる”一気に読破したくなる作品です。
あなたは、どんな彼を造りだすのでしょうか。

『この詞何の曲?』

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『この詞何の曲?』
1986年のオリジナル・アルバムの表題曲、そして彼女の歌の中でも最も優れたラブ・バラード。日本では洋楽アルバムチャートで6週連続1位、シングルカットされたこの楽曲は全米チャート第1位を獲得し、驚異的な売り上げを記録しました。

悲しい目をしたあなた
がっかりしないで
わかってるのよ
勇気を持つのは難しいわこんなに人で溢れた世界で
何も見ないでいることも出来る
そしてあなたの中の暗闇があなた自信に肩身の狭い思いをさせる
<※1>
でも私にはあなたの本当の姿が見える
輝いて透けているわ私にはあなたの本当の姿が見える
そしてだからこそ あなたを愛してる
だから恐れないで 皆に見せることを
あなたの本当の姿を

だから恐れないで 皆に見せることを
本当の姿は美しい
まるでプリズムのよう

私に笑顔を見せて
悲しませないで
思い出せないわ あなたが最後に笑っていたのを見た時のことを

もしこの世界があなたを狂わせるのなら
そしてあなたが耐えきれなくなったら
私を呼んで
だって分かってるんでしょ 私はここにいるわ
<※1>繰返し

そして私にはあなたの本当の姿が見える
輝いて透けているわ
私にはあなたの本当の姿が見える
そしてだからこそ あなたを愛してる
だから恐れないで 皆に見せることを
あなたの本当の姿を
本当の姿は美しい
まるでプリズムのよう

こちらの楽曲です→https://youtu.be/3BbdUTnnNII

『日記から虚心坦懐』日ハム栗山英樹監督 後編

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『日記から虚心坦懐』日ハム栗山英樹監督 後編
就任3年目の14年シーズンを迎えるにあたって、私は自己改革の必要性を痛感していました。13年のシーズン終了後からすぐに手を付けられるものとして、自宅の本棚に眼を向けてみました。
学生時代から、本には親しんできました。ファイターズの監督になってからは、リーダー論や組織論などのビジネス書にヒントを求めることが多かった気がします。経営者や企業家の言葉を引用したそれらの本を読んでいくうちに、成功を収めたと言われる人たちの共通点に気づきました。
古典に当たっているのです。『四書五経』、『論語』、『易経』、『韓非子』といったものの教えが、時代を越えて模範的で普遍的な価値を持つことに気づきました。
テレビも、携帯電話も、インターネットもない何千年も前に書かれたものが、現代に生きる私たちの指針となる。これを驚きと言わずして、何と表現したらいいでしょう!
『論語』に「君子は諸れを己に求め、小人は諸れを人に求む」というものがあります。
人の役に立つような行ないをする人は、成すべきことの責任は自分にあると考える。一方、自分本位の考えを持つ人は、責任を他人に押し付ける、といった解釈が当てはまるでしょうか。
敗戦を選手に押し付けない。ミスを選手の責任にしない。監督就任から行動規範としてきたことですが、この『論語』の言葉を読み返したときに、自分への疑問が湧き起こりました。
お前は本当に選手を信じているのか? 選手に勝利の喜びを味わってもらいたいのか? 13年シーズンの自分は、知らず知らずのうちに責任を誰かに押し付けていたのではないだろうか。
気になった言葉は、ノートに漏れなく書き出していきました。書き出して、読み返して、また書き出して、また読み返す。
ファイターズの本拠地・札幌ドームの監督室で、遠征先のホテルで、時間を忘れてノートと向き合っているうちに、私が味わっている苦しみは本当に小さなものでしかなく、そもそも苦しみと言うのも憚られるようなものなのだ、という気持ちになっていきました。先人の言葉が水や肥料となって、乾きがちだった心が潤っていったのです。

日本の資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一さんは、「すべて形式に流れると、精神が乏しくなる。何でも日々新たにという心掛けが大事である」と説きます。過去の成功例はもちろん参考にするべきなのでしょうが、「去年までがこうだったから、今年も同じやりかたにしよう」と無条件に決めるのではなく、違った角度からアプローチすることも大事だよ、ということでしょう。
渋沢さんの著書『論語と算盤』は、擦り切れるぐらいに読み込んできました。そして、ページを開くたびに「そうか!」と膝を打ちます。その時々の精神状態によって、受け止め方が変わってくるのでしょう。そしてまた、私は渋沢さんの言葉をノートに書き写します。気になった言葉は何度でも書く。血液に溶け込むぐらいに、細胞に組み込まれるぐらいに、書いて、書いていきます。
シーズン中のプロ野球は、基本的に週に6日試合があり、試合がない日は移動日に充てられます。ファイターズを率いる私は、試合中に頭をフル回転させます。刻々と戦況が変わっていくなかで、次の一手を絶えず考えていく。
想定どおりに進む試合は、実はほとんどありません。采配がズバズバと当たった、という試合も例外的です。試合内容と試合展開に心から満足できる勝利は、1シーズンに数試合あるかどうか……というぐらいです。
つねに想定外を予想し、瞬間的に判断を下していく攻防が終わると、全身に張り付くような疲労が襲ってきます。負けた試合のあとになれば、選手たちの頑張りを勝利に結びつけられなかった悔しさと歯がゆさと、自分への腹立たしさが身体中に突き刺さります。
すぐにはノートを取り出す気持ちになれません。しかし、試合が終わったばかりの生々しい感情は、偽りのない心の叫びです。まとまりに欠ける文章でも、言いたいことはストレートに浮かび上がってくる。だから、できるだけ早く書いたほうがいいと、経験として分かってきました。自分の気持ちをすべて書き出せなかったら、少し時間をおいて書き足せばいいのです。
机に座って、ノートを開く。身体にこもった熱を息に溶かしながら、ゆっくりと吐き出していく。感情的だった思考が理性的になり、少しずつペンが動いていきます。
誰かに読ませるためではないので、乱暴に書き殴っている日もあります。1行目には日付とその日の試合結果を書いているのですが、負けた試合後は文字が乱れがちになっている。そもそも字がきれいではないけれど、読み返すのが難しいこともあります。
それにしても私は、なぜノートを書くのか。
『論語』に「性は相近し、習えば相遠し」との教えがあります。人の性質は生まれたときにはあまり差はないけれど、その後の習慣や教育によって次第に差が大きくなる、という意味です。学びには終わりはなく、学び続けなければ成長はありません。成長とは自分が気持ちよく過ごすため、物欲や支配欲を満たすためなどでなく、自分の周りの人たちの笑顔を少しでも増やせるようにすることだと思うのです。
その日の試合や人との触れ合いから何を感じ、どんな行動を取ったのか。それは、私たちの道しるべとなる先人たちの言葉に沿うものなのか。1日だけでなく2日、3日、10日と反省を積み重ねることで、自分を成長させていきたい。
私は弱い人間です。子どものころは次男坊のわがまま少年で、野球を始めたのは「我慢を覚えさせるためだった」と父に言われました。
大人になったいまも、「今日はこれができなかったから、明日はこうしよう」と心に留めておくだけでは実行に移せません。忙しいとか時間がないといったことを言い訳にして、つい自分を甘やかしてしまう。そうならないために、ノートに書いて一日を振り返り、読み返してまた反省をするようにしています。
ノートに自分の思いを書く行為は、周りの人たちとどのように接したのかを客観視することになります。
私たち人間は、ひとりでは生きていけません。普段の生活でも仕事でも、家族や友人、先輩や同僚、名前は知らないけれど隣に住んでいる人、などと交わりながら生きていく。一日を振り返ることは他者との関わりかたに思いを馳せる時間であり、他人の良さを認めること、自分の至らなさに気づくことにつながります。人の話をわだかまりなく聞く「虚心坦懐」の心構えを、再確認することにもなっています。
*きょしん-たんかい(心になんのわだかまりもなく、気持ちがさっぱりしていること。平静に事に望むこと。また、そうしたさま)
中国古代の歴史書『書経』に「時なるかな、失うべからず」という言葉があります。チャンスを逃すなということですが、ノートに書くことは自分の行動を見つめ直し、課題を抽出することに結びついていきます。つまりは、来たるべき「時」に備えて準備を進めていると理解できます。
記事画像https://president.jp/articles/-/32144?page= 4 5 6

『日記から虚心坦懐』日ハム栗山英樹監督 前編

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『日記から虚心坦懐』日ハム栗山英樹監督 前編
もう何年になるのだろうか。ある習慣があります。野球ノートをつけているのです。
私は小学校1年から野球を始めました。3歳年上の兄が所属していて、父が監督を務めるチームの一員となりました。
小学校当時はその日の練習メニューを書き出したり、気になったプレーを図解したりしていました。うまくできたプレー、ミスをしてしまったプレーを整理する意味合いを持たせていたのだろうと思います。
中学から高校、高校から大学と野球を続けていくなかで、ノートと向き合う気持ちは変わっていきます。自分のプレーを見つめる視点に、チームが勝つためにはどうすればいいのか、という考えが織り込まれていきました。
テスト生でヤクルトスワローズに入団してからも、チーム第一の気持ちは芯を持っていきます。自分はドラフトで指名され、即戦力として期待されている選手ではない。プロ野球という世界に存在するヒエラルキーで、もっとも低い立場でした。だからこそ、チームの勝利に貢献できる自分になることを、強く意識する必要がありました。
練習後や試合後にノートを開くことは習慣化されていましたが、ときには書かない日もありました。書けなかった、と言ったほうがいいかもしれません。
監督の狙いどおりにプレーできなかった。チャンスで凡退してしまった。失点につながるミスをしてしまった。押し寄せる悔しさを処理できず、自分のプレーを整理できず、ペンを持てない日がありました。
2012年に北海道日本ハムファイターズの監督に就任してからは、シーズン前のキャンプから必ずノートを開くようにしています。その日のスケジュールがすべて終わった夜に、自室でペンをとります。日記をつけるような感覚です。
練習でも試合でも、実に様々なことが起こります。私自身が気づくこと、選手やスタッフに気づかされることは本当に多い。つまりは書くべきことは多い。
ところが、ノートを開いてもすぐには手が動かず、白いページをずっと見つめたり、部屋の天井を見上げたりすることがあります。
監督としての自分に、言いようのない物足りなさを感じているのです。チームを勝たせることができていない。勝たせることができたとしても、選手たちに必要以上に苦労をさせてしまっている。
反省点は数多くありますから、とにかく書き出していきます。書き出すことで頭が整理されるものの、理想と現実の狭間で揺れる気持ちはなおも落ち着かず、気が付けば窓の外が明るんでくることもあります。
私は2012年に北海道日本ハムファイターズの監督としてスタートを切りました。
当時チーム統轄本部長だった吉村浩ゼネラルマネージャー(GM)からオファーを受けたときには、言葉を喉に詰まらせてしまいました。
29歳でプロ野球選手を引退した私は、それまで野球ひと筋と言っていい人生を過ごしてきました。引退後にどんな仕事を選ぶとしても、社会人としての知識量は明らかに乏しい。人間として一人前になるためには学びの時間が欠かせないと考え、スポーツキャスターとしてメディアの世界に飛び込んでいきました。
伝える側から野球を見つめると、様々な気づきがありました。
監督について言えば、名将や智将と呼ばれる方々は経験から多くを学んでいるという共通点がありました。選手としての実績、監督としての成績が選手たちの心を惹きつけ、カリスマ性と言うべき存在感につながっていることも肌で感じることができました。
それに対して私は、誰の眼にも分かりやすい成果を残していません。
ヤクルトスワローズに在籍した1984年から90年までの7年間で、チームはリーグ優勝を果たせませんでした。本塁打王、最多勝、新人王などの個人タイトルを獲得する選手がいるなかで、私自身はゴールデングラブ賞を1度獲得しただけで終わっています。プロ野球選手としての日々を履歴書にまとめるなら、自己アピール欄に書き込めるものはほとんど見つけることができません。
そんな私が、監督に? すぐに返答できるはずがありませんでした。言葉は出ないまでも、頭のなかでは断りのフレーズが列をなしていきます。
沈黙を破れない私に、吉村GMが言いました。

「栗山さん、命がけで野球を愛してやってくれれば、それでいいのです」

天祐というものに恵まれることがあるならば、まさにいまこの瞬間ではないだろうか。それまで暗闇に立ち尽くしていた私は、頭のなかに明かりが灯ったような気がしました。
野球人としての私の経歴が足りないものばかりなのは、吉村GMも、彼以外の球団職員も、間違いなく分かっている。それでもファイターズがチャンスをくれたのは、私が野球に注いできた情熱を、もしかしたら評価してくれたのだろうか。
野球を愛する気持ちは、私の身体を太く貫いている。野球への愛こそがファイターズの監督に求められる最優先事項なら、ひるまずに飛び込んでいっていいのではないだろうか、と考えたのです。
成績だけを見れば、就任1年目は成功と言えるかもしれません。パシフィック・リーグを1位でフィニッシュし、リーグ上位のチームによるクライマックスシリーズも制して、読売ジャイアンツとの日本シリーズに臨んだのです。残念ながら日本一になることはできませんでしたが、新人監督が最低限の責任を果たしたことで、周囲は安堵したかもしれません。
しかし、私自身は自己嫌悪に苛まれていました。
勝った試合は選手たちの頑張りがあったからで、負けた試合は私の力不足だったからです。誰の眼にも明らかな采配ミスこそなかったものの、専門家なら「経験不足だ」と一蹴されてしまう場面は何度もあったのです。
果たして、翌13年シーズンは最下位に沈んでしまいます。
前シーズンまでの主力選手が移籍した、中心選手がケガをしてしまった、などの理由はありました。しかし、1位だったチームが6位になってしまうのは、もっと根本的な問題があったはずです。それはつまり、私の力量不足に他なりません。
過信も慢心もなかった。試合にはつねに全力で臨んだ。自分では全力を注いでいたつもりでしたが、野球は相対的なスポーツです。ファイターズが最下位に終わったということは、パ・リーグの6チームの監督のなかで6番目の努力しかできていなかった、と考えるべきです。私が考えた勝利へのシナリオは、穴だらけだったのでしょう。
記事画像https://president.jp/articles/-/32144?page=1 2 3
後日、後編に続きます。

『サイバー攻撃やサイバースパイ工作』

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『サイバー攻撃やサイバースパイ工作』はほんの一端に過ぎない。
ただ機密情報が某国側に盗まれるだけでなく、もっと怖いのは、日本のインフラ情報が盗まれることだ。下手すれば、サイバー攻撃によって電力や通信、鉄道などのインフラが遮断されてしまうことも考えられる。事実、世界ではこれまでも各地で、核燃料施設が破壊されたり(イラン)、通信が完全に監視・妨害されたり(イラク戦争、シリア内戦など)、都市部で大規模停電が起きたりと(ウクライナなど)、サイバー攻撃によって大きなインフラ被害が出たケースは多い。
まず某国のサイバー攻撃集団とは何者なのか。
彼らは、実はかねて知られていた組織で、セキュリティ会社などが2016年に最初の活動を報告しているが、実際はそれ以前からサイバー攻撃を実施していたと言われている。特に日本を狙っており、それ以外には、韓国やオーストラリア、シンガポールやインドなどをターゲットにしている政府系ハッカー集団だ。
この組織は2016年頃からこんな手口で攻撃を行っている。まずスピアフィッシングメールなどを送りつけて、狙った相手がマルウェア(不正プログラム)に感染すると、様々なハッキングツールを投入して、システム内部を調べ、重要な情報にアクセスできる権限を狙う。そのマルウェアは情報を集めて、攻撃者の元に不正に送る。
またマルウェアを感染させてから、バックドア(裏口)を作り、遠隔で不正アクセスを行うパターンもある。過去には、テクノロジー系だけでなく海洋分野やメディアの放送局を狙っていたことも確認されている。日本企業の社内の電子メールや、パワーポイントのファイルなどを盗むことにも成功しているという。
この攻撃は、某国政府のサイバー部隊やスパイ機関が関与していると考えていい。今回、機密情報やインフラ情報が目的とされていることからも、背後には国が関与していると考えるのが自然だ。基本的に金銭目的で犯罪を犯すハッカーがそれを盗んだところで、「儲け」にしづらいからだ。
三菱電機もそのほかの日本の大手企業も、サイバーセキュリティの重要性が叫ばれる近年、サイバー攻撃対策には力を入れている。それでも不正アクセスを許した理由は、某国の攻撃者がその辺にいるハッカーなどとは違って、かなり高いレベルの攻撃を行っているからだ。
例えば、世間でまだ知られていないセキュリティの穴、つまり脆弱性(ゼロデイ脆弱性)を使っているとも考えられる。このゼロデイ脆弱性はセキュリティを破るのに非常に有効であり、「サイバー攻撃兵器」とも呼ばれている。某国政府系ハッカーらも多数所有していると言われる。
今回のケースでは、三菱電機の関連会社が攻撃のスタート地点になっていたらしい。となると、これは「サプライチェーン攻撃」と呼ばれるサイバー攻撃の手段だとみられる。メインターゲットである大手企業をいきなり直接攻撃するのは容易ではないため、その取引先でセキュリティ意識が比較的低い中小企業や国外の取引先を狙うことをいう。巧妙なツールを使い、関連企業に入り込んでから、本丸のターゲットに入っていく。
日本では企業が被害を報告したがらないために、被害総数はなかなかデータとして明確に出てこないが、米調査会社ポネモン・インスティテュートの調査によれば、米国では56%の企業や組織が、外部の供給業者が原因の情報流出を経験している。

某国のサイバー攻撃は、持続的標的型攻撃(APT)と呼ばれるやり方が主流だ。狙ったターゲットにフィッシングメールなどでサイバー攻撃してシステムに侵入し、持続的に潜伏して情報を盗み出すのである。
欧米の情報機関関係者らは、筆者の取材にこう口を揃える。
某国のハッカーは24時間体制で、交代制で働いており、何の任務をしなければいけないのか事細かに決められている。彼らの攻撃パターンを分析すると、非常に組織化されていることが特徴的で、まるで一般企業に勤めているかのように動いている。
潤沢な予算が割かれているため、決められた「勤務時間」で働いていると分析されており、9時出社・5時退社といった形態で、ちゃんと休暇も取っているのだという。

2003年にはサイバー攻撃で米軍から、2010年には大手IT企業や軍事企業から大量の機密情報を盗み出している。当時、某国のハッカーらがグーグル検索のソースコードも盗んだと、元米軍幹部が筆者に語っている。2015年には連邦人事管理局(OPM)からCIA(米連邦調査局)などの職員情報を含む連邦職員2210万人分の個人情報も奪っている。
実力は米国、ロシアに匹敵
某国のサイバー部隊の数は10万人とも言われたが、その数はどんどん増え、2015年頃から本格的な組織の再編に着手。サイバースパイ工作からプロパガンダ、破壊工作まで、サイバー戦略を包括的に取りまとめている。
その中でもサイバー攻撃に特化している部隊は、軍のサイバー兵士が7万人ほどで、民間から協力しているハッカーらは15万人ほど、合わせて22万人以上の規模になるという。
そのような強大かつ統制のとれた敵が日本を襲っている現実を、私たちはしっかりと認識すべきである。
今回、対日サイバー攻撃の実態があまり明るみに出ない中、三菱電機がサイバー攻撃にさらされた事実を認めたことは評価できるし、被害に遭った経験のあるそのほかの企業も、ぜひ続いてほしい。東京五輪を前に、問題を直視し、教訓をしっかりと生かすべきだろう。

記事https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69918?page=1 2 3 4 5

流行の兆し『ノンアルコール飲料』がこれからのトレンド

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おはようございます😉

 

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流行の兆し『ノンアルコール飲料』がこれからのトレンド
アメリカではミレニアル世代(1980年代から00年代初頭に生まれた人)を中心にジェネレーションZ世代(90年代後半から2010年の間に生まれた世代)など若者の間でお酒を飲まない人が増えており、「Sober Curious ソバー・キュリアス」という言葉が今トレンドになっています。Soberとはシラフ、酔っていないという意味で、直訳すると”シラフの好奇心”ということになります。つまり体質的にアルコールが飲めないのではなく、お酒は飲めるけどあえて飲まない、時々少量だけ飲むシラフを楽しむ人たちのことを意味する言葉です。ソバー・キュリアスの人たちは別にお酒が嫌いだったり、お酒を飲むことや飲む人を否定しているわけではなく、SNS世代の彼らにとっては酔っ払って羽目を外した姿をSNSにシェアされることへの恐怖心がアルコール離れの要因の一つになっていると言われています。また、昨今のヘルシー志向ブームも後押しとなり、アルコール飲料の売り上げは年々減少傾向にあり、大手ビールメーカーも危機感を募らせていると伝えられています。
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スーパーマーケットにもビールなどと並んでノンアルコールのコーナーが、ハイボールと名付けられたエナジードリンクもノンアルコールです。
そんな中で、今ブレイクの兆しを見せているのがノンアルコール飲料です。ナチュラフルード系スーパーマーケットの大手ホール・フーズマーケットが毎年発表する食のトレンド予想でも、今年は限りなくアルコール飲料に近いノンアルコール飲料がはやるとの予想を発表していますが、巷ではノンアルコールビールだけでなく、アルコールを含まないスピリッツやカクテルなどさまざまなノンアルコール飲料がお目見えしています。見かけはカクテルでも実際にはアルコールが使われていないMock(偽りや見せかけと言う意味)とCocktail(カクテル)を組み合わせた造語「Mocktail(モクテル)」という言葉も生まれており、アルコールのないシラフのバー「Sober Bar ソバー・バー」も誕生しています。ブームを牽引しているのはソバー・キュリアスの人たちですが、背景にあるのはお酒は飲まないけどおしゃれなレストランやバーには出かけたい、そこではジュースやソーダを飲む代わりにノンアルコールのビールやカクテルで飲んでいる気分を味わいたいという欲求があります。そのため、バーテンダーが本物のカクテルを作るのと同じ手順で作るモクテルを提供するレストランやバーも増えていますし、昨年欧州で発売されて今年1月にアメリカに上陸したハイネケンのノンアルコールビール「0.0(ゼロ・ゼロ)などのさまざまなノンアルコールビールだけでなく本物のお酒にそっくりなノンアルコールのスピリッツやビールの味を楽しめるホップ入りお茶などユニークな商品も続々誕生しています。
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また、イギリスで作られた世界初のノンアルコールスピリッツ「Seedlip」は、ジンに似た味わいが楽しめると評判。カルダモンなどのスパイスやレモン、グレープフルーツなどの柑橘類を使ったものや、スペアミントやローズマリーといったハーブを使ったものなどがあり、すべて植物性由来のためヘルシー志向の人たちにもウケているようです。いずれも共通しているのは、お酒を飲んでいる気分にさせてくれること。シリコンバレーのベンチャーもノンアルコールビジネスに乗り出しており、飲料メーカーや投資家もノンアルコールビジネスに投資も始めていますが、お酒の代わりに飲んで楽しめるノンアルコール飲料がこれからのトレンドとなりそうです。記事画像https://www.nikkansports.com/m/leisure/column/la/news/202001190000130_m.html?mode=all(米ロサンゼルスから千歳香奈子。ニッカンスポーツ・コム「ラララ西海岸」)

4t新車

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こんにちは😌

東京支店のエースHさんに4tの新車が届きました😊♪

 

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『日本人が品格を失い続ける根本理由』後編

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おはようございます😉

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『日本人が品格を失い続ける根本理由』後編
拙著『国家の品格』に書いたように、西暦500年から1500年までに日本一国が産んだ文学は、その10世紀間に全ヨーロッパが産んだ文学を質および量で凌駕しています。このような文化的水準の高さが、今世紀になってからの自然科学分野でのノーベル賞で、アメリカに次ぐ大量の受賞者を産み出したのです。

私はいくつかの著作でも、歴史を学ぶことの大切さを繰り返し書いてきました。前述の食糧自給率の問題にしても、イギリスのチャーチル首相は、食料の補給船が敵に破壊されて食糧備蓄が1週間を切った40年秋が一番怖かったと戦後に語りました。歴史を学んでいれば、食料を自国で生産できないことの弱みは明らかです。農業とは経済だけの問題ではないとわかるのです。
よく若い人たちからは「何を読んでいいかわからない」という質問を受けます。そこで、お茶の水女子大学で教鞭を執っていたとき、20名ほどの学生を対象に読書ゼミを続けました。『代表的日本人』(内村鑑三)とか『福翁自伝』(福沢諭吉)などを読み、レポートを提出させ、それを私が添削する。そして、授業中はディスカッションを行うのです。
ゼミ生の反応は期待を上回るものでした。彼女たちは、数冊読んだだけでみるみる思考力が高まり深まり、変わっていきました。「自分たちは歴史上もっとも知識があり思慮深い若者」と思っていた学生たちの中から「自分たちは歴史上、知識も情緒も最低の若者」と考える人さえ続出しました。それには「洗脳教育をしているのではないか」と自問したほどです。もちろん、読書習慣も身につき、人間的に成長する素地を持ったことにもなります。ある学生は「書棚に並んだ青帯(哲学思想・言語)の岩波文庫は私の勲章です」と話してくれました。これこそが、まさに読書の効用といっていいでしょう。

日本のマンガは素晴らしい
古典や名作もさることながら、日本には大衆文学という国民の誰もが手にできるジャンルがあります。私もその恩恵に浴した1人ですが、少年時代には「立川文庫」と名づけられた講談本のシリーズがありました。猿飛佐助とか霧隠才蔵、真田幸村といった架空や実在の主人公の八面六臂の活躍に血をたぎらせ、肉を躍らせることで感情を育まれました。
マンガの素晴らしさも日本ならではでしょう。私が20代末にアメリカに留学したときのことです。母に頼んで「文藝春秋」とともに「少年マガジン」も送ってもらいました。その理由は「巨人の星」や「あしたのジョー」が読みたかったからです。星飛雄馬や矢吹丈の生きざまは、間違いなく若者の気持ちをゆさぶります。しかも、これらの作品のストーリーには庶民の哀感、人情の機微、武士道の神髄もがふんだんに含まれていたのだと後に気づきました。
加えて、世界の歴史を知ることは国際情勢を判断する視座を獲得することにもなります。例えば、第2次世界大戦のはじまる39年8月23日、犬猿の仲であったドイツのヒトラーとソ連のスターリンの間で独ソ不可侵条約が結ばれました。しかし、この条約には独ソ両国に挟まれるポーランドを分割統治するという恐るべき密約がありました。ゲルマン、ロシアという民族はそうしたことを平然とできるわけです。
ひるがえって、今日の日本はどうでしょうか。万が一、アメリカと中国が同じような発想をしたとしたら、日本も安穏としてはいられません。米中は合理的な思考をする点などはよく似ているので、今の対立は近親憎悪のようなものですが、共通点が多い両国が手を結んで、かつてのドイツとソ連のように日本を食い物にする可能性はいつでもあるのではないでしょうか。それが大国の国際戦略ですから、それぐらいのことは想定し、自主防衛に力を入れないといけません。歴史から現代を見るというのはそういうことなのです。
最後に物をいうのは人間性と教養。
いくつもの伝記を紐解くと立志伝中の人物には、それぞれ立身出世して高い地位につこうとする「青雲の志」がありました。私自身、学生時代は「男児志を立てて郷関を出ず。学もし成る無くんば死すとも還らず」の決意で勉学に励みました。それは、ある意味で人生の修行を続けることでもあります。そのプロセスで人間の器が大きくなります。
欧米では盛んに真のエリートをつくる教育が行われてきました。イギリスならイートン校のようなパブリック・スクールやオックスフォード大学、ケンブリッジ大学があり、フランスには大学より格上のグランゼコールがあります。
本物のエリート「真のエリート」には2つの条件があります。第1に、文学、哲学、歴史、芸術、科学といった教養を十二分に体得していること。第2として「いざ」となれば国家、国民のために喜んで命を捨てる気概があることです。残念ながら、この本物のエリートが現在の日本からいなくなってしまいました。
とはいえ、現代は民主主義の世の中です。戦前のように一部のエリートが国家運営を決めていくのではありません。国内外ともに政治が堕落し、国会議員にも官僚にも国を託せる人物はなかなか見当たらなくなりました。どこの国でも、国民一人ひとりが未熟で、きちんとした国会議員をリーダーに選ぶ大局観を失っているのです。民主主義の下では、教養なき国民は確実に国を滅ぼすことを、近刊『国家と教養』の中で詳述しましたが、活字文化の衰退も大きく影響しています。
最後に、私の知り合いに元外交官で評論家の岡崎久彦さんがいます。彼は何人もの外国要人と折衝した経験則から「外交交渉でも最後に物をいうのは、その人の持つ人間性と教養だ」と語っていました。どの分野で力をふるうにしても専門知識などのノウハウは不可欠です。しかし、それだけでは不十分で、物事は人間としての魅力で決まっていきます。さらに、深い教養がないと相手も全幅の信頼をおいてくれないし、認めてもくれないのです。つまり、いつの時代、どんな地域においても人間の中身を高めることが決定的に重要だということです。
記事画像引用https://president.jp/articles/amp/28984?page
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